政治の世界にいると。 どうも、頑迷というか、痛いというか、何というか。思わずため息が出そうな場面に出くわすことがある。 その時は、にっこりと、笑顔で受け入れるしかない。ともかく、そういうことがあった1日。 さて。今日行われた、ボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ。 チャンピオンの内藤大助選手が、あの亀田大毅選手に大差の判定勝ちをおさめ、見事初防衛を果たした。 日本のジム所属選手の、最年長記録でもある。 興行、つまりビジネスであるわけだから、事前の話題作りから両者のキャラクター演出など、その計算は緻密だ。 感心しながら、私も、今日の試合を楽しみにしていた。 はたして。 キャリアの違いが歴然の試合結果であった。若さとはいえ、亀田選手の、あのあるまじき無謀は、残念だった。 明日以降、どのメディアも似たような論調で、亀田選手の無謀を批判するだろうが、若く豊かな才能に対し、ゆめ、切腹云々などの過激バッシングに走らないでほしい、と思う。 一方の内藤選手。苦労の末、頂点を極めた男の、その一連の言動と実力には、本当に感服する。素晴らしい、の一言に尽きる。 両者のファイトを観ながら、これからさらに精進して、新たな感動を見せて欲しい、と思う。とともに、自分のファイトについて考えた。 政治の頑迷との戦いは、若さが出ると負けるよ。タイムリーにも、亀田選手に教えてもらったような気がする。 ��写真は、本文とは無関係、の堀端に沈む夕日のシルエット)
朝から夕方まで、目一杯の県民相談。 個人情報や守秘義務などから触れられないが、クタクタとなる。神経が磨り減る、という表現がピタリ、当てはまりそうだ。 夜は、党の支部会合に参加。中心者が公務にて不在のため、代理で進めさせて頂いたわけだが、自身、慣れない進行に、緊張の連続であった。 その後半のお時間、30分強を頂き、ミニ県政報告会とさせて頂いた。これまた初体験とあって、冷や汗の連続であった。 ご報告させて頂いたのは、9月県議会の議案・請願採決における、わが会派および私自身の意思決定の経緯に関するご説明である。 今議会は、難しい判断を迫られる場面が特に多かった、と思う。とりわけ、県警配転国賠訴訟控訴の議案、教科書検定意見撤回の請願、への対応。 実際、新聞報道だけでは、誤解を招きかねないと懸念していたのだが、まさに時機を得たところで、じっくりと、お話をさせて頂いた。 委員会での丁々発止のやりとり、議会運営のしくみと意思決定メカニズム、プラス余談を交えながらの内容に、皆様の表情は一様に、新鮮な驚きを見せていた。 何しろ、私自身、1年生議員として約半年。 初めて見聞きすることばかりを、是々非々ともに、驚きをもってお伝えしているのだから、当然といえば当然なのかもしれない。 時に、行政の旧態依然に対する怒りや、県民本位にはまだまだ遠い現実への不満を浮かべる、そうした皆様のお気持ちは、絶対に忘れてはならない1コマとして、しっかりと心に焼きつけた。 その他、松山盲学校移転・統合の件、防衛議員連盟の件等についてもご説明し、党員の皆様からの各種のご要望も承り、支部会合は終了となった。 緊張と、冷や汗と。朝から夜まで、気の抜けない1日は、実に多くのことを学ばせて頂いた1日となる。 もっと、もっと、想像力。レントゲンのように、人の痛みや苦しみに気づき、汲み取れる、そういう力を、身につけたいと思う。 毎日の、様々な方との、出会いの中から、1つづつ。 ��写真は、議会控室から見える松山城二の丸)
迷わず、母校の話題を1つ。 第62回国民体育大会「秋田わか杉国体」最終日の今日、その高校野球硬式において、わが愛媛の今治西高校が、見事、26年ぶり2度目の優勝を飾ったというのである。��ご参照URL⇒ http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20071009/news20071009854.html ) 準決勝で、夏の甲子園優勝校の佐賀北を8-5で下し、決勝で、同じく準優勝校の広陵高校を2-1のサヨナラで下し、という、これ以上ない有終の美を飾ることとなった。 後輩のみなさん、おめでとう!心から、拍手を送りたい。 さて。 考えてみると、今年のチーム、因縁というか、めぐり合わせというか。26年ぶりの夏の甲子園ベスト8といい、26年ぶりの秋の国体優勝といい。 その26年前というのは、私たちの代なのである。��但し、私は柔道部であったが。今の在校3年生と同じ気持ち、という意味で。) まったく同じ軌跡を歩むとは、なんて不思議。 あの時もそうだったが、秋の国体優勝はベタ記事であった。ヤクルトで活躍した早実の荒木投手を決勝で破ったにも関わらず。 26年も経つと、そうしたマスコミの扱いの違いも、受け取る世の中のニュアンスも、多少、理解できるようになるわけだが。 とはいえ、後輩たちの快挙に、ひとり快哉を叫びながら。 この26年がそんな昔に思えない今、これからの26年もそんなに遠くないのかも、と思う。 寿命あればそのとき、私は、ほぼ70歳。え゛ぇ-、である。 急に、少年老いやすく学なりがたし、との言が心に浮かび、しみる。先哲も、そうだったかは知らないけれど。 私自身、くれぐれも、老いやすさに注意、学べずに終わることに要注意、なのである。 ��写真は、母校の校章)
午前、思いがけないメールが届く。山本ひろし参議院議員からの、激励であった。 この3連休を休まず中四国を廻られながら、その合間に、電車の中から、と思うと恐縮の極みである。 すかさずお返事を送信して、今日の、私の現場へと向かう。 1本のお電話を頂き、ある現場を見て欲しい、とのこと。行き先は、おなじみ、久万高原町である。 現場は険しく、河川のかなりの上流に位置する。奥深い山道の草むらをかき分けながら、岩苔に足をとられないよう、注意深く進む。 事情をしっかりと伺い、ご要望をお預かりした。しかしながら、この、お預かりするということは、とても重たいことなのである。 要望が実現できれば何も問題ない。エブリワン ハッピー、だ。 が、全部が全部、実現できるとは限らないのであって。問題は、実現できない場合、だ。 なぜ、できないのか、という説明責任、また次善策、もしくは善処の見通し、を示し、了承を頂いて初めて、お預かりしたものをお返しできたといえるのであろう。 そこの難しさを、思う。と同時に、知見の必要を痛感する。 今の私は、専門的な話になると、頭の中は虫食い状態で、主旨を把握するのに精一杯だからだ。 国語の文章問題などで、キーワードの囲みに、適切な言葉を当てはめるように。文脈と要点を掴まえて、それから調べる、その繰り返し。 テストなら試験範囲というものがあるが、生活には、課題の範囲は、ない。ならば、議員でいる間は、どれだけ勉強しても、卒業というものはないのかもしれない。 連日、様々な方からご相談を頂きながら、体当たりの日々が続く。しんどいと感じるとき、それは訓練だから、と思う。 だから、がむしゃらに、と思った。厳しい訓練を乗り越えて、本当の意味で、皆様の確かなお力になれるように。 と、そよ風に揺れるオレンジ色のコスモスたちが、ちょこっと、肩に力の入りがちな私を見透かすように、 自然体でね、と、釘を刺すように、ニッコリささやいて見えた。
「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」とは、論語の一説。 まさに、久しぶり。遠方より、ようこそ。 再会したのは、高松時代の友人と、そのご家族。国立ロシア美術館展を鑑賞しに来られたのだそうだ。 連絡を受け、食事をしながら、また、楽しからずや、な、ひとときとなった。 思えば、最初に彼と出会ったのは、今から約15年前。 お互い若く、ともに、とんがっていた20代の私たちは、よく衝突した。仕事も、性格も、考え方も、ほとんど180°違うのだから、当然だ。 それが最後には、また今でも、私にとって最も信頼のおける、かけがえのない大切な友人の一人となるのだから、人生は面白い。 そんな当時の思い出の1コマ1コマを手繰り寄せながら、すっかり忘れてしまったエピソードも蘇りながら、話は尽きず止まらず。 お子さんも、ずいぶん大きくなった。奥様もお変わりなく。平凡ではあるけれども、ご家族の安穏の雰囲気に、安堵が広がる思いがした。 夜も更け、再会の時間はあっという間に、過ぎた。そして、高松での再会を約しながら、散会となった。 その彼は、今、ある病と闘っている。驚いたし、とても心配しているが、同時に、彼なら必ず立ち直れると確信している。 じっくりと、とはいえ、1日も早い全快を心より祈りながら、街灯りに手を振るご家族と照れくさそうな彼を、最後までお見送りする。 ��写真は、青春が詰まった大切なバッジ)