日中は公務、夜は党務にて。悲喜交々、ならぬ、悩みと喜びが交錯した1日。 天網恢恢疎にしてもらさず、という言葉がある。夜の党員の集いに参加して、その故事が脳裏に浮かんだ。 今日の私的トピックスは、その別れ際の、あるご婦人の一言であった。実に印象的だった。 私自身の行動と、努力と、態度と、その心情さえ、ご婦人も支持者の方々も、実によく見ているなー、ということを実感した。 よくぞそんなところまで、というところまで、お見通しなのである。ありがたくもあり、少し怖くもあり。 公人という仕事の厳しさの一面であろう。 支持者の皆様のご期待を、あらためて感じながら。しかし、無理せず、あせらず、地に足をつけて、黙々の大事を教えて頂く。 知らない間に、気持ちが張り詰めて、肩に力が入りすぎていたか。明日からスイッチを切り替えて、議会の準備に集中することにしよう。 ��写真は、昨日訪れた金波煌めく北条の海)
午前、党務にて久万高原町へ。 ふと、夏の甲子園で活躍した今治西高の熊代くんの話題に花が咲き。彼のお母さんが近くにいらっしゃる、ということで、早速ご挨拶に伺う。 お姉さんか、と見紛うほどの若さに、軽いショックを受けた。先輩というには、いささか老けてしまった自分を感じ、気恥ずかしくなる。 さて、午後は、議会にて9月予定議案と補正予算の説明会に出席。緊縮財政の苦労がにじむ中身であった。 その中で、1つの保健福祉事業に目がとまる。6月議会の一般質問にて私の要望させて頂いた事案が、ドンピシャの形で、予算化されているのだ。 一瞬、目を疑ったが、紛れもなく、そう書いてある。また、1歩前進だ。ご相談に来られた方々の喜ぶ顔が浮かんできそうだ。 が、油断することなく。議会承認を経て、その事業が、受益者の満足度向上に資する目的に適うよう、慎重に見守ってまいりたい。 今日の説明会。これが行われるということは、まもなく議会が始まるということなのである。9月定例会は、9/13から10/5の会期予定だ。 ちなみに私、前回に引き続いて、今回も一般質問に立つ予定である。 この間、たくさんの新たな市民相談を頂き、生活者の、生の、お声を肌身で感じさせて頂いた。 この皆様のお気持ちを、県政にどのように反映させてカタチにしていくか。それが、私の仕事であり、支持者の期待成果でもある。 その責任の重さとともに。この1週間、またも徹夜気味の毎日が続くことを覚悟する。 ��写真は、久万高原町で見つけた季節外れの、バッタ)
今日は、終日、今治にて。日頃、お世話になっている企業と支持者の皆様へのご挨拶に伺う。 寄り道がてら、高校時代の下宿先を訪ねてみた。何年ぶりだろう。 大家さんは、あいにく留守で、お会いすることができなかったが、裏に回ると、私が過ごした部屋、というか、離れ、は健在であった。 その4畳半のレイアウトも、カーテンの色も、はっきりと覚えている。押入れの、昭和のにおいも、くっきりと蘇る。出入りしたあの人この人、あのシーンこのシーンが、浮かんでは消え。 高校時代の3年間を過ごしたこの場所は、ある意味、私にとっての聖地である。 奇しくも、ちょうど26年前の、夏休み終了間際の、この時期。今は亡き私の恩師が、突然にしてわざわざ、この下宿まで足を運んでくださった。 進路は、どうするんぞ。 そう言ったきり、私の話を最後まで、頷きながら聞いてくれたこと。そして、就職に気持ちが傾きかけた私に、大学進学の決意を固めさせてくれたこと。 がんばれよ。人懐っこい笑顔で、そう言って、帰られた。 深々と、感謝の気持ちが、蘇る。 進学先と、その先に連続する、数々の出会いによって私は、今にたどり着くが、もし、あの家庭訪問がなかったら、今の私は、確実に、いない。 ここが、起点だ。他人に感謝することの大事を教えて頂いた、この場所が、大人へのスタート地点だ。 おそらく10数年ぶりの、この場所で。坂の上の雲をめざして、恐れずに突き進んだ、あの時と同じように。 あらたな坂道の登攀に際し、立ち寄るべくして立ち寄った、そんな意味と必然性を感じた、寄り道であった。 そして、額の汗をハンカチで拭いながら。感傷に浸る気持ちを振り切り、次の訪問先へと向かった。 ��写真は、本日訪れた、日本食研KO宮殿工場/ご参考URL⇒ http://www.nihonshokken.co.jp/main.html )
午後、松山市と(社)松山青年会議所の主催による第24回まつやま市民シンポジウムに参加した。��ご参照URL⇒ http://www.city.matsuyama.ehime.jp/seisaku/1182864_907.html ) 注目したのは、2部構成の第1部「人と人、人とまち、まつやまの未来」と題した基調講演。 講師は、あの、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄氏の主治医である、初台(はつだい)リハビリテーション病院 医学博士の酒向正春(さこう まさはる)氏である。 その講演の骨格を成す「健康医療福祉都市構想」の提唱に、感銘を受けた。 日頃、誰しも、人とまちは、病気や障害の当事者を想定していない、という冒頭の事実提示に胸が痛む。 当事者となって初めて、どうしてよいかわからない現実の社会システムに気づくが、脳神経外科においては、それは決定的に致命的、なのである。 氏が唱える「健康医療福祉都市構想」とは、病気や障害をあらかじめ想定した、優しさと強さを持つ、個人の育成とまちづくり、と私は理解した。 障害に対するリハビリ治療は、一義的には確かに医療マターだが、その先の、社会生活を行っていく上での、人間回復に向けた真の障害克服という点では、思いやりという想像力を伴う「ひとづくり」と「まちづくり」という市民のマターなのである、と。 それは、自助と共助が織りなすユニバーサル社会の実現、と換言していいだろう。私が感銘した、肝である。 酒向博士は、愛媛出身の46歳。日本のみならず世界に、その「健康医療福祉都市構想」を広めんとするその情熱に、大いに触発され、有意義な時間を得た。 心から賛同するとともに、県政への反映という大きな宿題を胸に、会場を後にする。照りつける残暑は、まだまだ厳しく。
面白い記事を発見。 たった15万円のコストで、世界一を実現した事例である。��ご参照URL⇒ http://www.asahi.com/life/update/0901/NGY200709010007.html?ref=goo ) 思わず、うなずいてしまう男性は、少なくあるまい。この事例、じつに示唆に富むのだ。 気づきの力、の経済効果である。件の空港施設サービス会社の生産性を向上させるきっかけは、ひらめく“仮説”であった。 すなわち、“ターゲットがあると、きれいなトイレになる”のではないか、という、気づき、である。全く、すばらしい、と感心する。 ここに、わが愛媛の、経済活性化を含む政治課題のヒントがあるように思えてならない。 この事例は2つの重要を示唆してくれる。 1つは、気づきは現場にあったということ。もう1つは、気づいたのは、清掃という意味でも、利用者という意味でも、当事者であったということ。 例えば、経済的疲弊が続く、農林水産業地域にもピタリとあてはまる。 みかん農家は、ふつう、みかんが売り物と思って栽培をする。その中で、ある人は、みかんをつくる過程全体を売り物にできないか、と気づく。 夏の夜、セミの幼虫が土から這い出して、みかんの木によじ登り孵化する、このシーンを都会の子どもたちに見せて感動させたい、と思うならば、観光事業の仮説が出来上がる。 みかんの花の甘い香りを缶詰にして、都会に住む、愛媛出身者に届けたい、と思うならば、通販事業の仮説が出来上がる。 あくまでも、ジャストアイデアに過ぎないが、しかし。 あの、世界のカップヌードルだって、どんぶりを持たないアメリカ人が、チキンラーメンを紙コップで食べるのを見てひらめいたという、日清食品の創業者であられる安藤百福さんの、ジャストアイデアから始まったのだ。 現場から離れてはいけないな。その現場から、当たり前を排さないといけないな。そして、現場の課題に対して、いつも当事者意識を持たないといけないな。 そう、思った。また、決意した。 その気づきに、あなたの価値がある。そういって頂けるように、日々、自分を磨いていこう、と。