愛媛で、日本初の天然ダイヤが発見されたという。��ご参照URL⇒ http://www.asahi.com/science/update/0910/TKY200709100198.html ) 臨時国会開会とともに、明日の地元紙の1面を飾るか。 記事によると、目に見えないほどの微量でとても宝石に向かない、とのことだが、なぁーんだ、と思わないようにしたいのである。 量の多寡の問題ではなく、有無が問題なのだから。 天然ダイヤは、南アフリカやオーストラリアなど古い大陸が主な産出国であることから、日本では採れない、というのが、今までの学術的な常識であった。 それが、今日、ひっくり返ったわけである。ない、と思っていたものが、あったのである。 今後、さらに研究が進み、日本地質学会をはじめ、わが国の学術振興への貢献と、愛媛における新たな産業や市場の創出に繋がれば、と思うと、思わず期待が膨らむのである。 とともに、この記事を読んで、常識は、たった1日で変わりうるのだ、とあらためて思った。絶えず常識を疑ってみる、心の柔軟と勇気の必要性を、痛感した。 そして。 考えてみれば、生活現場における様々な困難が、法律とか、慣習とか、予算とか。当たり前という、いろんな常識が壁となって、その解決が阻まれているのだとしたら。 その常識を疑ってみる、なかったことにしてみる、そういった大胆なアプローチが、今、求められているのかもしれない、と思った。 今、一般質問原稿の作成に追われながら。まったなし、なのに、1つの記事が目に留まり。 県民の生活満足という価値を前提に、不要な常識の足かせがないか、ときどき頭の中をオールクリアにしてみることだ。 そんな大事なヒントを頂いたのかもしれない、と、ふと思った。
予期せぬ、うれしい出来事あり。それは、高校の同級生Kくんとの、25年ぶりの、再会である。 彼には松山市在住のお姉さまがおり、有難い私の支持者のお一人なのであるが、昼下がり、そのお姉さまから、弟が所用で今日里帰りした、との連絡を頂いたのである。 それでは、とばかり、さっそく待ち合わせ場所に向かった。運転しながら、25年を経た、様々な彼をシュミレーションしてみた。 到着。 果たして、そこにいたのは、私の記憶の中のKくんそのまま、であった。吹き出しそうなくらいに、紛れもなく、Kくんの世界が、そこにあった。 久しぶり。 それから、近くの喫茶店で近況を語り合った。それぞれの来し方を確認するように。気づくと、あっというまに2時間が経っていた。 それにしても、不思議。 ちょっぴりアンニュイとシニカルの入り混じった、それでいて、とってもピュアでシャイな、彼独特の受け答えは、当時といささかも変わってないのである。 一方、私はどうかというと、彼いわく、ずいぶん老けた、と。 そう言っておいて、だけど年齢からすると、かなり若く見える、と言う。 また、吹き出しそうになった。そんなところが、紛れもない、Kくんなのだから。 傍から見ると、おじさん2人の、平凡で退屈な、よくある光景だったかもしれない。 しかしながら、25年ぶりの懐かしい再会であり、お互いの多忙からすると、再々とは許されぬ貴重な出会いであれば。 予期せぬ再会の有難さに、感謝せずにはいられない。友の今後の活躍を心から祈るとともに、自身の成長を心に期さずにはいられない。そんな気持ちでいっぱいとなる。 夕暮れに、彼を市内に見送りながら。帰宅後、今朝の公明新聞の記事を読み返しながら。 25年ぶりの再会は、また、私に新たな決意をもたらし、もたらされた決意は、掲載記事により、さらに固められ。 世の中の、絶妙を、思う。 ��写真は、きょう9/9付の公明新聞掲載記事)
四国各県から100名を超える公明党議員が、今治市に集結し、意気軒昂に「2007公明党四国夏季議員研修会」が開催される。 太田代表を迎えて、終日にわたり、心に残る充実の研修会となった。詳細は措く。 今日の感動は、何といっても、太田代表その人、に尽きる。 人間の、スケールが違う。根本に持つ、哲学が違う。 一挙手一投足の、役者が違う。場の世界を創る、センスが違う。 負うべき責任に対する、覚悟が違う。庶民に対する、思いが違う。 違う、違う、を100でも言うことができる。 自党の党首を持ち上げることに辟易の方には誠に申し訳ないが、偽らざる今の気持ちであれば、ご容赦頂きたい。 60分に及ぶ、情熱と気迫あふれる、温かさと希望にあふれる、その一言一句を、まぶたに、心に、記憶に、しっかりと刻みつけながら。 これこそ、政治家だ、と思う。これこそが公明党だ、と思う。 もとより私など、箸にも棒にも掛からない、浅学非才の身である。その私に対してさえ、彼は、手足となって働く、と本気で言うのである。 それ以上に、今まで以上に、私が、庶民の手足となって働かないでどうする。何のための公明党か、そこに誇りを持って働き抜かないでどうする。 まったく新たなる、ともいうべきモチベーションが、トップギアに入った1日。 圧巻は。初出馬の際の、「太田、味方を作るんだぞ」、との師匠のひとこと。 そのエピソードは、私と、私の人生にとって、大きな意味を持つ宝物、と言っても決して過言ではないだろう。
気づいたことは、すぐ行動に移す。 というわけで今日は、昨日の、知的怠惰との指摘を受けて、じっくり、本会議で行う一般質問の構想を練った。 県民の皆様から直接伺った、数々の要望が、私が取り上げるテーマの源泉であれば、背伸びせず、格好をつけず、ただ、そのお一人に寄り添う思いで、思索を巡らせる。 集中、集中。 ワークシートに、1つ1つ書き出してみる。チャート化してみる。考える。 並べてみる。考える。 わからないことを調べてみる。職員に、聞いてみる。考える。 あっという間に、半日が立ち。 この種を考えることに不慣れな脳の疲労と引きかえに、何となく方向性のいくつかが見えてきた、ような気がする。 ここからが、テーマを掘り下げて調べ上げる、キツイ作業となるが、夜の会合出席のため、今日はここまで、となる。 それにしても。 調べものをしていると、ついつい脱線して、いつのまにか読書になっていたりする。人は、どこまで集中できるのだろう。という言い訳はせず、やはり、時間を切って実行することの重要性を、痛感。 ちなみに、明日は終日、党務のため、続きはあさってから。思考のスイッチは切らさずに、一気に取りかかりたい、と思う。
夕方、元の職場の上司であるAさんを訪ねる。目的は、一般質問の準備にあたって、少し煮詰まった頭の中を整理するためである。 結論からいうと、大正解であった。要は、私の知的怠惰である、と。 観点がずれている、質問の筋が悪い、なぜ?が足りない、考える訓練が足りない、と、手厳しい指摘の数々。その通りというしかなく、まったく、良薬は口に苦し、である。 この、Aさん。 話していて、こちらの頭がクリアになっていくのには、理由がある。それは、ロジカル・シンキング、という思考方法にある。 それは、ある課題を解決する、つまり、その解を導き出すための手段としての、仮説思考をベースとする発想方法、といえる。 世の中にあらかじめ答えはない、答えは必ずしも1つではない、という前提のもと、より最適解を導き出す道具といってもいいだろう。 ロジカル・シンキングを自分のものにするために必要なものは、頭脳ではなく、知的トレーニングという習慣あるのみ、とAさんは言う。 その大変な忍耐を伴う、習慣の怠惰をズバッと指摘され、思わず目からウロコがさらさらと。 県政の課題は、大きすぎて、広すぎて、深すぎて、難しすぎる、と感じたときに、既に頭が固まっているということに気づくべきである。心に、常に俯瞰を持て、と、Aさんは言う。 私にとって、教えを乞うことができる、ありがたい場であり、ひと時、であった。2時間強の、いわば個人授業の後、近くで夕食をとる。 ここでは、プライベートな話題についてのご指導が続々、かつ、容赦なく。 退職して半年以上たっても、相変わらずAさんは手厳しい。なればこそ、私にとっては大良薬なのであり、感謝の人なのである。