連休明けの今日の本会議は、一般質問の日。私にとって、2回目の登壇の日となった。 参院選、町議選、と携わる中、前回以上にタイトなスケジュールであったが、たくさんの支持者の皆様のおかげで、取り上げるべきテーマには事欠かない。 30分という制約の中で、今回の質問は大きく分けて、県民の生命に関わるテーマが2つ、お寄せ頂いたご相談の中から2つ、取り上げさせて頂いた。詳細は、明日の地元紙をご参照頂きたく。 ともかくも、当事者に成り代わる思いで、大感情を込めて、お訴えする。 質問の視点・角度など、まだまだ、拙さとぎこちなさを自覚する一方で、新人議員の中で、早くも2回目の質問に立たせて頂く有難さに、感謝しながら。 議会質問の成果は、それがどれだけ実現されたか、であり、最終的に、県民の皆様の生活満足に繋がって初めて評価される、といえよう。 頂いた答弁をしっかりと検証し、次の委員会に向けて準備してまいりたい。 さて。散会後、何人かの方から、声をかけて頂いた。 “あいかわらず、お辞儀が深いね。”“消える魔球ならぬ、演壇から消える頭、だね。” 有難い激励である。本当は、質問の中身について聞いて欲しいのだけれど。お辞儀が深くなる理由は、話せば長くなるのだけれど。 されば、議員でいる限り、腰が曲がる限り、初心を忘れない限り。私は、消える頭の、木村ほまれを貫いてまいりたい、と思う。
今日、生まれて初めて、狂言というものを鑑賞した。市民会館にて行われた、第31回松山市民狂言会、である。 日頃、お世話になっている方の晴れ舞台を楽しみに、駆けつけた。3F小ホールではあったが、超満員。 いわゆる、大入袋、状態である。 さても、狂言五番。翻訳すると、本日の演目は5つ。 その中の「文相撲」という演目に、その方は出られていた。 30分弱の熱演に、感想は、ひとこと。いと、をかし、である。 狂言が、こんなに面白いものだとは思いもよらなかった。 まさに、をかしの世界であり、私流にいうと、知的情緒が刺激される直感的愉快、なのである。 いわゆる古典芸能ということから、狂言というのは何か堅苦しいもの、と思い込んでいた、あるいは、接点さえなく、全く興味の対象外であったことは、まさにモッタイナイことであった。 考えてみると。 自分自身、日本に生まれ、日本人として育ったものの、自国の文化に対する知覚はどれだけあるだろう。 と思うとともに、愛媛に居ながら、わが県の文化についてどれくらい理解しているだろう。 そう思うと、もっと愛媛を知りたい、もっと知らねば、と渇仰してやまない気持ちとなる。 これからは、機会を見つけて、積極的に、愛媛の文化に触れてまいりたい。��ご参照URL⇒ http://www.e-cul.net/index.php ) 狂言的にいうと、「参りまする、参りまする~」である。
離島から始まる、日本再生。ムムム、とページをめくる。 気になる特集タイトルは、日経ビジネス9.24号。4つの島での、起死回生の取り組みのルポである。 島根県海士町の中ノ島。岡山県笠岡市の笠岡諸島。愛知県一色町の佐久島。大分県姫島村の姫島。 ズシン、と読みごたえのある中身であった。多くの島嶼部を抱える本県にとって、十分、示唆を得ることができる。 これらの島々の、成功例、正確にいうと成功しつつある事例は、私なりに解釈すると、共通点が、3つある。 1つめは、危機感と情熱を持った最初の1人または有志から出発していること。 2つめは、彼らは、地域固有の強みを核とした新たなビジネスを試みていること。 3つめは、最初は受動・傍観のサイレントマジョリティに、やがて触発と共感と協働が起きていること。 機会を見つけ、ぜひ視察してみたいところである。島嶼部自治体各位におかれても、かの地域について、ぜひベンチマークされることをおすすめしたい。 さて、記事の中で、印象に残ったのは、中ノ島の山内町長の談。その応接室の壁には、南北を逆さまにした、日本地図が張られているのである。 こうしてみると、日本自体が中国大陸の離島であることが、よくわかり、勇気がわいてくるのだ、とのこと。 たしかに、である。離島に、弱気も引け目も、不要なのだ。 そして、町長は言う。 「日本が直面する問題を離島は先取りしている。ここで見出した解が、全国で生かされる時が来る。」 私も、完全に同意するのである。
終日、党務。種々の打合せと、研鑽を、行う。 その中で、特に、心に残ったのが、デンマークの哲学者、キルケゴール。 彼は、実存主義の創始者であり、死に至る病などの著作でも有名だが、世界中で最も多量のインクを使った人、としても有名だ。 その幼い頃から、42歳で亡くなるまで、日記を綴り続けた人。 長じてからは、自宅の各部屋にインクとペンを用意し、考えが浮かぶとひたすら書き続けたという、まさに、生涯思索した人、である。 そんな彼の金言に、心が留まる。 「人が信念を自分自身の生を通じて、行為の上で現すとき、これが信念をもっていることの唯一の真の証明ではないだろうか?」 信念は、口先ではわからない。行為として現れてはじめて、信念といえるのだ。 その通り。 「確かに、機先を制することはそれだけでも偉大な勝利である。しかし同時に、まさに初心を忘れないように行動することが重要である。」 「初めはとてもすばらしくても、その次の瞬間には、まずもって役に立つどころか、邪魔になるような場合ほど、人間にとって破滅的なものは何もないであろう。」 初心を忘れずに進み続ける。忘れたものの行き着く先は、破滅である。 あまりにも深い示唆に富んだ言葉であり、まさに、金色の言葉だ。 議員として。自身の初心である信念を、行為として見えるものにしていく。 まさに、その通り。決意も新たに、前進あるのみだ。
今日から一般質問となる。自民・民主・社民護憲連合の3会派、4名が登壇。 微妙な空気を感じ取った。議会の中に、通常とは異なる対決姿勢が生じてきている。 先の選挙結果は、地方議会にも確実に影響を与えているな、と感じる。本来、あるべき姿だし、いい変化だと思う。 論戦は大いに結構だし、政党としては望むところだが、主張が異なる場合、争点の本質は何か、ということを大事にしなければなるまい。 ここを曖昧にしてきたのが、今までの政治であったかもしれない。何をいうか、政治はそんな教科書的なキレイごとではない、とお叱りを受けるかもしれないが。 私は、今日の質問のいくつかは、マスコミが取り上げる問題も含めて、明らかに、争点がかみ合っていない印象を覚えてならない。 争点の曖昧さは、ややもすると、議論を感情論と頑迷の泥沼に陥れ、県民にわかりにくさと誤解、ひいては不信を招くことにしかならない、と思う。 まず、争点を明確にし、かつ合意した上で賛否それぞれの主張を行い、最終的に、そのどちらが、より県民に対する利益をもたらせるのか、という論を戦わせたい。 しみじみ。 政治の奥深さと厳しさを感じながら。一方で、これからの愛媛県議会が大きく変化していく兆しを予感しながら。 1つ1つのイシューに対する判断について、きちんと説明責任を果たせる、そういう自身と会派であらねば、と、今日を振り返って、思う。