夕方、元の職場の上司であるAさんを訪ねる。目的は、一般質問の準備にあたって、少し煮詰まった頭の中を整理するためである。 結論からいうと、大正解であった。要は、私の知的怠惰である、と。 観点がずれている、質問の筋が悪い、なぜ?が足りない、考える訓練が足りない、と、手厳しい指摘の数々。その通りというしかなく、まったく、良薬は口に苦し、である。 この、Aさん。 話していて、こちらの頭がクリアになっていくのには、理由がある。それは、ロジカル・シンキング、という思考方法にある。 それは、ある課題を解決する、つまり、その解を導き出すための手段としての、仮説思考をベースとする発想方法、といえる。 世の中にあらかじめ答えはない、答えは必ずしも1つではない、という前提のもと、より最適解を導き出す道具といってもいいだろう。 ロジカル・シンキングを自分のものにするために必要なものは、頭脳ではなく、知的トレーニングという習慣あるのみ、とAさんは言う。 その大変な忍耐を伴う、習慣の怠惰をズバッと指摘され、思わず目からウロコがさらさらと。 県政の課題は、大きすぎて、広すぎて、深すぎて、難しすぎる、と感じたときに、既に頭が固まっているということに気づくべきである。心に、常に俯瞰を持て、と、Aさんは言う。 私にとって、教えを乞うことができる、ありがたい場であり、ひと時、であった。2時間強の、いわば個人授業の後、近くで夕食をとる。 ここでは、プライベートな話題についてのご指導が続々、かつ、容赦なく。 退職して半年以上たっても、相変わらずAさんは手厳しい。なればこそ、私にとっては大良薬なのであり、感謝の人なのである。