AM10:00より、特別委員会が開催された。 わが県では現在、常任委員会の所管に属さない特定の案件を議会で設定し、議員と理事者で構成する、4つの特別委員会にて継続審査が行われている。��ご参照URL ⇒ http://www.pref.ehime.jp/gikai/frame/frame9.htm 議会の運営) むむむ。 いつも、よりわかりやすい表現を心がけているつもりだが、わかったようでわかりにくい説明だ。政治における業界用語には、どうしても、こうした難解がつきまとってしまう。 戸田奈津子さんの字幕がない洋画や、糸井重里さんのコピーがない80年代の西武百貨店のように、チカラある翻訳がないと、政治だってつまらない、でしょ。 と思いながら、私も、県政の、魅力ある翻訳を心に期して。 さて。 私が所属するのは、地域活性化対策特別委員会、である。県が進める様々な地域活性化事業をチェックし、質す、というのが同委員会のミッションだ。 新人の私には、すべてが初めての出来事だが、今日の特別委員会もまた初体験である。 そういうしくみになっているんだ、という直感だけで、いくつか質問を行った。もとよりの浅学披露を覚悟の、ぶっつけ本番である。 ひとくちに地域活性化といっても、これだけ県内の地域格差がはっきりとある以上、優先すべきは、経済不振地域であり、超高齢化地域であり、過疎地域というふうに、まずは議論すべき地域の特定から明確にすべきだし、活性化については、言い換えると、競争化にほかならない、と思う。 つまり、真の地域活性化対策とは、経済不振地域において、いかにして競争力あるビジネスを創り、興すのか、であり、超高齢化地域や過疎地域において、どこと競争をして、若者を呼び込み、定着させるのか、であり、そうした具体的な仮説に対する検証を行い、実行プランとして構築していくべきものであろう。 その、真の地域活性化対策は又、一人一人の生活者、一個一個の企業の、健全な競争努力にこそ、その本質があり、そのためにどうするか、という行政が果たすべき関与は、つまるところ、徹底的な規制緩和とセーフティインフラの整備、この2つに尽きはしないか、等など、あれこれ巡らすうちに、あっという間に、私史上初の特別委員会は終了した。 委員会の所要時間は、2時間強。 終了後、空腹を覚えながら、党控室に戻る。先輩議員から、ずいぶん長かったね、相当議論が伯仲したんだね、と。 通常、特別委員会は、も少しコンパクトに終わるもの、らしい。
今日は、法事で因島へと向かった。 日頃あまり構ってやれない息子を連れて、2人で小旅行がてら、といいたいところだが、実際は、とんぼ返りのドライブであった。 さて、この因島。私の父親の里であり、私自身の生まれ故郷である。 その父が亡くなって、今年でもう30年が経つ。 久しぶりに寄り合った親戚も、いつしか腰が曲がり、髪も白くなり。私も、2年前に、父の享年を超えてしまった。30年という、長さと、短さと。 ともあれ、親戚の皆が集まるところ。そこは、何年経っても、やはり同じDNAを持つ者どうし。 瞬時に、まるで同期するかのように、大家族づきあいの当時が蘇る。短時間ながら、昔話、今の話、これから先の話、に花が咲きやまず。 唸るほどに、私は父にそっくりで、どうしてそうなるのか、しぐさまで瓜二つと。真偽のほどは私には不明だが。 そして、その裏返しか。自分の息子を見ていると、よくぞそこまで、というくらい、わが欠点をコピーしてくれている。全く苦笑もので、困ったものだ。 猛暑の中を、つかの間の因島で、父を偲ぶ1日となった。 もし今、父と再会することができれば、私は、彼の言葉を待ちたい。何を聞かれるだろう、何を叱られるだろう、そして、何を誉めてくれるだろう。 謹厳実直であったがゆえに、今でも、私の中の父は、厳かだ。まじめで素直な、その一分を、父は私に譲り与えてくれたであろうか。 ありがとう、そして、がんばるけん、と思う。 私は、子供たちに、何を残してあげられるだろう。そして、何をもって偲ばれる親になれるだろう。 帰り道、車の後部座席の息子の寝顔を振り返りながら、がんばってこいよ、という父の声が聞こえた気がした。 ��写真は、生口島から見た多田羅大橋)
終日、党務の1日。台風一過による睡眠不足のため、猛烈な睡魔と多忙が、同時に押し寄せる。 県内でも、国政選挙を終えてひと段落の地域とは異なり、統一外選挙を戦う地域もある。 今、私は、休みなくご支援くださる皆様と共に、その準備に勤しんでいる。 小さな町、の選挙ではある。 しかし、生活者にとって、議員を選ぶという行為は、自治体規模の大小に関わらず、等しく、重要だ。 選んだ結果が、良きにつけ悪しきにつけ、そのまま、私たちの生活に直結するからだ。 であるならば、一人の人のために誠実に働く人を、選びたい。そして、現在と将来に責任を持てる人を、選びたい。 私たちは、そういう気持ちの持ち方を、広げたいと思う。そんなことを考えながら、気づけばいつのまにか夜の帳が下りていた。忙しいほどに、時間は加速するか。 ジリジリと、厳しい日差しが照り続ける中、休みなく戦うことの過酷さ。 そういう中で、ご支援くださる皆様のお気持ちを考えたときに、何としても大勝利するしかない、そのために私に与えられた役割を全力で果たしきってまいりたい、と熱く、強く、思う。
台風5号が通過した。 幸いにも、人命に関わる被害はなかったようだが、大小の爪あとを、しっかり残して、去った。 朝、連絡を受け、早速、被災状況の視察に現場を訪れた。台風の足跡を、そこに見る思いがした。 取材しながら被災状況をビデオに収め、そのまま県庁へ。担当部局への説明と対応協議を行った。 この日は同時並行で、いくつかの市民相談について、各部局との折衝の連続であったが、それにしても。 痛感するのは、現今の財政難である。 先の参院選においても、それぞれの主張に、財政的な裏づけがあるのかないのか、ということが、重要な論点の1つとなった。 まさしく、思うのである。 こうした自然災害にしても、福祉にしても、何にしても、生活者の安全・安心を担保するには、お金が必要なのであって。 そのお金は、結局のところ、私たち生活者が持ち寄っているのであるが、過去から積み上げてきた約800兆円ともいわれる借金を収支すると、今の財政難、つまりお金が足りない、という状況が浮かび上がるのである。��ご参照URL ⇒ http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock.htm ) こういった財政状況の中で、生活者の安全と安心を、どう確保するか。この1点こそ、国も地方も含めた政治家と行政の、知恵と力の出しどころである。 これからの世の中は、過去と明らかに違って、それをしない、それができない、つまり、できないことの正当化に終始するだけの政治家と行政は、生活者から、遠からず、不要というジャッジを与えられるだろう。 生活者とともに、生活者から離れず、生活現場を離れず、24時間365日、考えて、考えて、考え抜いてまいりたい。 凡夫のわが身を鑑みながら、今、思うことである。 ��写真は、浸水一歩手前の民家前道路の冠水)
AM10:00より、常任委員会が開催される。常任委員会とは、いわば、分科会のことである。 わが県議会では行政カテゴリーを6つに分け、それぞれの委員会を設置し、県庁内部局と議員が、その6つの委員会に編成・配置されている。 各委員会のミッションは、その行政カテゴリーごとに、県の取り組みをチェックすることを目的として、本会議から付託された議案などの審査を行うこと、といえる。 その中で、私が所属するのは、環境保健福祉委員会、である。 文字通り、県民の皆様の、生活環境や保健福祉に関することをテーマとして取り扱い、深掘りした議論・検討を行うわけだ。 今日の委員会の議題は、「新潟中越沖地震と本県の防災体制について」であった。 概要は、明日の地元紙他に譲るが、極めて貴重で有意義な所感を得た。わが県の真摯で堅実な取り組み状況も理解できたし、一方で、防災という、県民の生命と財産を守ることの重大さからすると、これで十分ということはありえない、その課題の多岐を痛感させられた。 想定される南海大地震をはじめとする、様々な災害に対して、時系列で見るなら、事後の体制・対応の万全を期することは必要条件であって、事前の災害予防の啓発・準備をもって十分条件としなければなるまい。 水平的に見るならば、全庁横断的な、あるいは4県合同的な編成強化が必要だし、垂直的に見るならば、国と県と市町のネットワークの構築・強化が求められる。 災害の種類で分けると、天災と人災。段階で分けると、1次災害と2次災害。愛媛固有の事情として、伊方原発。 その他の視点も含めて、多面的で漏れのない検証と議論の中から、ぜひ、わが県独自の、防災トータルプランを構築してまいりたい。 委員会を終えて。 こういう時間と場と知見を経て、議員として為すべきことを、1つ1つ覚えていくのだ、と思った。 奇しくも、台風5号が今夜半、愛媛に最接近とのこと。 何かしらの災害にすぐ動けるように、今、自宅で待機しながら。無事の台風通過を祈りつつ。