参院選を受けた臨時国会が、昨日で閉幕した。今朝の愛媛新聞にて、愛媛の新人2名の所感を載せた関連記事に目が留まる。 6年間じっくり論争を、と。その通りである。 いつ解散があるかもしれない衆議院と違って、そこは良識の府である参議院。 友近氏は農林水産の分野で、わが公明党の山本ひろし氏は厚生労働の分野で、と、それぞれが注力の方向性を定める。しっかりと取り組んで頂きたいし、私も山本議員と同様に、決意をあらためている。 明日は、その山本ひろし参議院議員と、市内で街頭遊説を行う予定だ。わが公明党のロゴマークは、太陽。その灼熱の太陽の下、力いっぱい行ってまいりたい。 ��写真は、8/11付愛媛新聞2面記事)
今日は、今治市の大三島と大島に渡った。 大三島では、JF大三島水産物二次加工場を訪れた。同加工場は、合併市町村周辺地域振興補助金事業として本年3月に竣工した施設である。 その目的は、豊漁・不漁・魚価次第といった経営から脱却し、地域水産物にさらなる付加価値をつけて、「売れる」水産加工物の開発と販路拡大をめざす、というものである。 地元日本食研とのコラボということだが、その強化がポイントに思えた。 続いて、大島へ移動。 潮流体験船と、物産館兼魚食レストランを視察した。いずれも、宮窪地区観光拠点整備事業として、本年4月に営業を開始し、着実に来訪者が増加しているとのこと。 まだ緒についたばかりであるが、ビジネスとしての将来性を感じた。 特に、潮流体験船。これは、工夫次第でドル箱になりうる、と思わず唸った。いくら巨額投資をもってしても、この壮大な自然装置は作れないのだから。 潮流体験を、宮窪観光全体のストーリーの中で、どう魅力的に落とし込んでいくか、が重要であろう。ホスピタリティを真ん中に立てて、ぜひ他の地域に希望を与える、観光事業としての成功を、と思う。 PS大三島と大島の真ん中に、私が育った伯方島がある。潮流体験で訪れた船折り瀬戸は、昔から有名な、船の難所である。 ここの潮流がいかに早いかということは、中学3年の夏、はからずも体験した。苦い思い出、である。 そのとき、私はシュノーケルと水中めがねと足ヒレをつけて、友だちと海に潜り、銛で魚やウニやアワビを獲っていた。 獲っては焼いて食べ、また潜り。 ある時、浜辺近くで潜ったつもりが、海面へ出ると、ずいぶん沖に出ていた。しまった、潮につかまった。流されている。すごい力で、船折り瀬戸の渦のほうへ引っ張られていくのがわかった。 あとは無我夢中。あるいは一心不乱。 流れに逆らわず利用して、少しづつ浜辺へ浜辺へと必死で泳ぎ、1㎞くらいむこうの岸辺に、どうにかこうにかたどり着くことができた。本当に死ぬかと思った。 その後、祖父たちから、昔は、このあたりの潮の速い海で流され、亡くなる方も多かったことを聞く。自然に対する敬虔を、身にしみて覚えさせられた夏であった。 船折り瀬戸を通過する潮流体験船にて、当時のその場所を見つめながら、それから28年経った夏も、あの時と同じように、また暑い1日であった。 ��写真は、船折り瀬戸の潮流と渦)
今日は、県内視察の初日。環境保健福祉委員会と総務企画委員会の16名で、東温市と西条市を訪れた。 まず、東温市。 地域新エネルギービジョン・環(わ)のまちづくり、を推進する同市では、その先進的なエネルギー環境保全への取組みについて、高須賀市長よりご説明を頂く。��ご参照URL⇒ http://www.city.toon.ehime.jp/eco/ ) そして、新エネルギーである、太陽光発電・バイオマスエネルギーの導入例として、市役所・消防署・学校給食センターなどを視察した。 その後、同市内の、愛媛県立子ども療育センターへ。 同センターは、障がい児とその親御様に対して、保健・福祉・医療・教育などの様々なサービスを提供し、わが県の地域療育の拠点として、本年4月に開所された施設であり、私自身、4/18以来、2度目の訪問となった。 こちらでは、見学中に出会う一人一人の子どもたちを慈しむように、手を取り言葉をかける、中込センター長の温かなふるまいがとても印象に残った。 次に、西条市では、食の創造館を訪れた。��ご参照URL⇒ http://www.shoku-souzou.jp/ ) こちらは、生産日本一のあたご柿を始め、県下屈指の農業地帯である同市が、有望な農産物資源の新たなブランド化とビジネス化を図るため、その一環として位置づけられている、戦略基地だ。 特に、伊藤市長自らの経営戦略、つまり西条食料産業クラスター構想に関するご説明は、非常に熱烈で、その説得力に感心することしきりであった。 両市を視察し、トップのリーダーシップ、ということを考えさせられた。自立をめざして取り組む、地方の地方の真剣さを、学ばせて頂いた。 そして、一方では、国と県の補助金活用事業ということから見ると、もう1歩踏み込んだ、リターンの視点からの検証の必要性を感じた。 1年生の私にとって、視察の初日は、刺激的なほどに有意義で、もっともっとわが愛媛の知見を広げていかなければ、と、視察・調査活動の積極を、心に誓う1日となった。 ��写真は、東温消防庁舎・防災センター内の、地震体験コーナー)
今日8月8日は、そろばんの日。 無理のある語呂合わせの記念日が多い中で、この日は、とっても自然な感じがして、私は好きだ。 何を隠そう、私は、そろばん大好きっ子であった。小学2年から6年まで習って、1級をもらった。 思い出すのは、当時流行った、TVコマーシャルのCMソング。 ♪ね・が・いーましーては、トモエのそろーばん、パッチパッチパッチパチ。��中略)ト・モ・エーの、そろばん、パチパチ! 昔は、世に出る心得として、読み書きそろばん、が言われたが、大人になって、習って本当によかったな、ありがたいな、とつくづく思う。 そろばんの優れたところは、記憶力と、集中力と、計算力が養える、ということが一般にいわれるが、最も素晴らしいメリットは、右脳が開発されるという点にあるのではないか、と私は考える。 暗算を例にとると、高速で動かす指先に合わせて、珠の盤面が、頭の中で、同じ高速度で映像化されるのだから、いわば、これは究極のイメージトレーニングである。 そう考えると。 読み書きそろばんは、すべて右脳系、つまり感性の開発手段といえそうだ。日本人が西欧人に比べてロジカルに弱い、ということも少し頷ける気がする。 その、そろばんも、昭和40年代の電卓登場の頃から退潮が顕著となり、今では、習う子供たちも、そろばん市場も、縮小する一方となった。 今の子供たちの習い事は、学習塾といい、スポーツといい、音楽といい、ほとんど、次のステージに直結した実利が目的かのように見える。 決して悪くない。悪くないけれども。 次のステージよりも、むしろ次の時代を見越して、くらいの広い心を持ちたい、と思う。そして、私たちが、日本人であり続ける限り。 古きよき、こういった日本の伝統文化にもっともっと光を当てて、それに見合うべき再評価と、しっかりとした継承を行わなければ、と思う。 ひるがえって、そろばんの日に。 おもむろに、押入れからそろばんを取り出して、久しぶりに、珠を弾いてみた。予想通り、指がもつれた。
照りつける昼下がり。ふとした脈絡で、お世話になった社長のことを思い出した。 営業でお邪魔した際、決まって待機させて頂いた、ある応接室。 その真ん中に、でーんと飾られていたのは、山本五十六連合艦隊司令長官の語録、『男の修行』であった。 いろんなクライアントにお世話になったが、70歳以上の経営者に、これを座右とされる方が多かったような気がする。 待ち時間に、いつも眺めては、内省したものだ。 いわく。 「苦しいこともあるだろう。云いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじつと、こらえてゆくのが男の修行である。 」 今から約70年前の時代精神である。 その世代の経営者にとって、まさに、この語録は、常に、孤独な、最高意思決定を背負うものの気持ちを、余すことなく表したものであり、心の支えであったろう。 翻って、男女共同参画社会をめざす現代にあって、この「男の修行」は、是非もなく、知る人ぞ知る歴史となるか。 ふとした脈絡に、この一節が、たまらなく思い出された1日であった。