焼けつくような陽射しに、拭っても拭っても噴出す、汗。 今日は、新家としての墓地移転に伴う私の父の納骨と、家内の父の3回忌法要を兼ね、香川県高松市に趣く。 午後1時の、晴れ渡る、四国池田記念墓地公園。��ご参照URL⇒ http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/memorial-park/memorial_park_info_10.html )滞りなく、遺骨のご安置も済み、家族とともに、両父への感謝と報恩をご祈念する。 父が逝いて、ちょうど30年。義父の逝去は、2年前。ともに、真っ盛りの夏であった。 生前に面識のない父らだが、2人は今、隣通しに並び。私もまた、いずれの日にかお側せんその日まで安らかに、と。 果たすべき使命を胸に、2人の父を偲び、そして誓う。さあ、心にキッチリけじめもついた。 関係者へのご挨拶の後、家内の実家に戻る。 そして、束の間の休息の後、ひとり松山へ。明日も又、やるべきこと、たくさんなれば。 帰り道。高松から松山へと向かう高速道路は、まるで灯篭流しのように鮮やかで。 この夏の思い出を詰め込んで帰路を急ぐ、そんな車たちのテールランプが、途切れることなく賑やかに流れていた。
午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。 今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。 300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。その尊い命と家族の幸せを奪い、奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。 この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。 戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。 時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。 私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。 二度と戦争は、したらイカン。絶対、繰り返しちゃならんぞ。あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。 幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。 今、私たちは。 子どもたちに、その先の未来まで、これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。風化させてはならず、他人事にしてはならず。 そのために。 白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。 この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。 ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。 それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。きっと62年前と同じように。
終日、党務に追われる。1日が、あっという間だ。 その上、多忙にかまけてか、暑さに茹だれてか、最近は、読書も思索も十分にできていない状況である。 頭と心に、充電が必要だ。 ということで、書店に立ち寄り、何冊かチョイス。思わず手に取ったのは、「14歳からの政治2」という本。 例えば、14歳の中学生が、石破茂衆議院議員に、日本の平和は大丈夫ですか?などと、大真面目にインタビューするのである。 著名な政治家の面々が、果たして、中学生の腑に落ちる説明ができるのだろうか、という興味とともに、ドキッとするくらい、こういうアプローチは、あり、だと思った。 考えてみると、政治は決して有権者だけの、大人たちだけのものではない。 にも関わらず、結果的に、私たち大人だけのものにしてはいまいか。政治家も官僚も、その対話対象として、無意識に子どもたちをオミットしていまいか。と、思わず、ハッとしてしまった。 買ったあとは、じっくり、読むとして。 難しいことほど、つまり政治も、子どもにもわかるように、という雅量が必要だと思う。雅量といい道理というのは、子どもにもわかるものだからである。 そして、子どもたちは、本能的にウソを見抜く天才なのである。その子どもたちの腑に落とすためには、政治はウソをつけないのである。 1冊の本のタイトルへの直感が長くなったが。放電ばかりで干からびないよう、忙中の充電を早速明日から、と思う。
知人との久しぶりの再会に旧交を温め、元同僚と、じっくり近況を交換した、1日。 考えると、去年の今頃は、自身の統一選出馬に向けて、会社内での様々なネゴに奔走していた時期であった。 温かく背中を押してくださった皆様のおかげで、その後、円満に退職することもでき、今日に至った。 おかげさまを思う。 すべてがリセットされ、今、新たなステージで、新しい使命に働かせて頂いている。そして、政治の世界において、私が積み上げたものは、ほぼゼロ、という事実。ここが、スタート地点。 文字通り、一からであり、毎日、ブログを綴りながら、1年生という表記が多いのは、その自覚からである。 学生と違って、この世界の1年生は、易しくない。考えさせられることの多いこの頃、ではある。 しかし、私にとって有難いのは、この世界でしっかり働いていこう、との決断にいたった初心と、真心から支えてくださる皆様とのお約束、という原点が、今、なお鮮やかに、心に赤々と燃えていることである。 ここに立てば、使命は明確だ。ここに立てば、闘志が沸く。そして、ここに立てば、謙虚になれる。 旧交を温めながら、そこには戻れないということの現実と、これから進むべき道のりの険しさを心して刻んだ、1日となった。 ��写真は、松前町に沈む荘厳なる夕日)
参院選から、ちょうど2週間。 マスコミの過熱はいささか治まりつつも、政局をにらんで各党・各議員とも落ち着いてなどいられない、正念場の夏、といえそうだ。 わが公明党も、捲土重来を期して、次へのスタートを切っている。 今日は、先日、見事当選を果たした山本ひろし参議院議員とともに、中越沖地震の被災者支援の募金活動と遊説で、街角に立った。 世間は、お盆休み。松山まつりも始まって。 ご家族連れ、友だち同士、カップルなど、道行く人々の、楽しそうに会話する笑顔が、日ざしと共に眩しかった。 こういう何気ない当たり前の日常に、平和は存在するのだ。どこか遠いところでもなく、大上段でもなく、まるで空気のように。 街頭に立ちながら、脳裏にパッと、確信が生まれた。 空気があってこそ、人は生きられる。が、日常生活の中で、それを意識したり感謝したりすることは、殆どなく。 目を転じると、中越沖地震で被災された方々とその暮らしは、まだまだ復興には遠い状況にあり、思いを馳せれば胸が痛む。 その少しでもお役に立ちたい、という思いからの募金活動だったが、大勢の道行く善意の方が、続々と募金をお寄せくださった。 その真心に、心から感謝と感動を覚えた。 まもなく62回目の終戦記念日を迎える。 先人達が築いてくださった、この平和というものに深く感謝しながら、その上に、さらなる安心と安全と満足を、社会に広げていけるよう、党としても、個人としても、がんばらねば、と心に期す1日となった。