まだまだ残暑が厳しい本日は、8月最後の日曜日。それは、夏休み最後の日曜日でもある。 たくさんの親子連れが、夏の思い出づくりに、それぞれの家族イベントを楽しんでいるようだ。 この夏、まだ幼い子どもたちをどこへも連れて行ってやれなかった私には、耳が痛い。 その分、どこよりも親子のコミュニケーションを心がけているつもりだが、これまた言い訳に過ぎずか。ごめんね、と思いながら、娘を抱きかかえる。 さて。今日も、多くの方々に囲まれながら、慌ただしく過ぎた。事務所前の田んぼの稲穂にも、いつしか実がつき始めている。 そして、深夜。松前町議選の開票結果が判明した。 わが松本ひふみ候補が、1,836票を頂き、2期連続のトップ当選を果たす結果となった。単に、ではない、いろんな意味での、大勝利と思う。 この記録的な猛暑の中を、夏休み返上で戦ってくださった皆様のご苦労に思いを馳せながら、感謝の気持ちでいっぱいとなる。 歓喜の万歳を聞きながら。候補の挨拶を聞きながら。 昼に見た、田んぼの稲穂が浮かんできた。実るほど 頭を垂れる 稲穂かな、とは先達の言。 私もまた、県民の皆様に対して、どこまでも謙虚に向き合っていこう。深々とお辞儀する候補とともに、次のステージに向けて、深く決意させて頂く。
相変わらずの暑さの中にも、秋の到来を予感させる風を感じた1日。 松前町議選の選挙期間も、今日が最終日。告示から、あっという間の5日間であった。 ふと、時間の相対性、そんなことを考えた。 5日間という長さは、或いは、昆虫からすれば、一生に匹敵するかもしれないし、星からすれば、瞬間にも満たない一瞬であろう。 相対の中に、森羅万象があるのだ。 そう思ったときに、ある詩の一節が浮かんだ。サミュエル・ウルマンの、「青春」という詩である。 ひまわりのようなその詩は、あまりにも有名な、次のフレーズで始まる。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」 なんと希望に満ちた、青春の定義であろう。そして、 「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。」 心の様相の本質を、見事に言いあて謳い上げる彼の情熱に、いつも私の心は、むんずと、鷲づかみにされるのである。いつ読んでも、何回読んでも、心に響くのである。 時間の相対という中で、おそらく、あっという間の人生に。心に、そして今日の1日に、信念と自信と希望を失うまい。 ひまわりの町で、ヘトヘトになりながら、ひとり頷いた。
午前、行政改革特別委員会を傍聴した。 私の所属は、地域活性化対策であるから、今日は聞くだけ、の有志参加である。 議題は「公の施設の見直しについて」であった。ずばり、傍聴してよかった。いろんな意味で、勉強になった。 が、同時に、議論全体がボタンの掛け違い、のようにも感じた。 公の施設が提供するサービスが、県民に約束する成果は何なのか、ここをまず明確にする必要があったように思う。 公サービスは、収支に優先するところに存在価値を有すると私は考えるが、その成果は外部に、つまり、県民の評価に現れるということだ。 教育の、文化の、健康・福祉などの、それぞれの公の施設が、広く県民に対してお約束したはずの、知的満足や安全や安心は、はたしてキチンとした成果として評価されているのかどうか。 その上で、それがないと困るサービスかどうか。公であれば、偏在がないかどうか。 という評価があって、見直しは適うものになっていくだろう。今、必要なことは、収支も含めた積極的な情報公開ではないか、と思う。 優秀な教師の成果が、生徒の成績・成長に現れるように。公の施設の提供するサービスは、県民に納得と満足をもたらさねばならない。
午後、ジョブカフェ愛work(愛媛県若年者就職支援センター)主催の講演会に参加する。 講師は、早稲田大学大学院教授であり、元三重県知事の、北川正恭氏。 TBS番組「ブロードキャスター」のコメンテーターとして、あるいはマニフェスト提唱者としても、有名な方である。 その「地域で育てる次世代人材」と題しての1時間半の講演は、氏の巧みな話術によって、あっという間に感じさせるものであり、わが愛媛にとって極めて示唆に富んだ、聴きごたえのある内容であった。 以前、日本のマーケティングの第一人者である岡本正耿氏と北川氏の共著である「行政経営改革入門」という本を読み、強烈なインプレッションを覚えて以来、氏の提唱理念は私の興味の対象となった。 すなわち。行政とは、経営である。 経営であるならば、行政の起点は生活者であり、めざすべきゴールもまた生活者である。という理念である。 まったく、同感なのである。 生活者起点という理念、あるいはビジョンというものの確立が先にあって、それに適うかどうかという基準で行政経営の意思決定が行われるならば、 言い換えると、 理念に見合う価値を前提として行政経営がなされるならば、それこそが、これからの地方自治のあるべき姿である、と。 その通り、同感なのである。 「地域で育てる次世代人材」という演題に戻すと、私が理解した大事なポイントは、「自立」ということであった。 それは、愛媛県として中央への依存マインドを克服し、自立する、ということであり。 県下の行政ステークスホルダー全員が、縦割りのポジションオリエンテッドから生活者起点のミッションオリエンテッドに、その精神構造を切り替え、自立する、ということであり。 そして、生活者が当事者として積極的に行政に関与することによってのみ、依存心と無関心からの脱却は可能となり、主権者としての真の自立が可能となる、ということである。 この「自立」をキーワードに、わが県内で、こうしたゆらぎをおこせるかどうか、が、愛媛における次世代の人材育成のカギとなる、と私は見た。 大いなる触発の機会を頂き、関係各位に感謝申し上げるとともに、まず、隗より始めよ、と思う。 私自身、過去の私から自立できるよう、日々、真剣に、研鑽を重ねてまいりたい。
甲子園というところは、何とスゴイところか。まるで、人生の縮図である。 第89回全国高校野球選手権大会最終日の今日、甲子園球場にて、その決勝戦が行われ、佐賀北高校が見事、参加4,081校の頂点に立ち、その幕を閉じた。 がばい旋風、とマスコミは言う。佐賀県出身、広陵高校野球部OBの島田洋七さんも、さぞ複雑な心情だろう。 それにしても、この勝負。極めて個人的だが、やはり、人生の縮図と思えてならない。 ありえない、ということが突然、ありうるのが人生であるからだ。 逆転満塁ホームランの前の連続四球は、広陵にとっては、ありえなかったはずだし、佐賀北にとって、勝つことは疑わなくとも、あの1球で決着するとは、ありえない想定だったろう。 現実は、すべてのことが、ありうるのであれば、勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし、とも思う。これまた、人生か。 両校の健闘に惜しみない拍手を送りたいし、心より讃えたい。猛暑の中、本当にお疲れ様。そして、感動をありがとう! 10年20年の後を担う君たちの世代に、胸を張ってバトンを渡せるように、そして、ありえないほど、生活満足が広がる社会をめざして、私もがんばるつもりだ。