午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。 今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。 300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。その尊い命と家族の幸せを奪い、奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。 この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。 戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。 時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。 私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。 二度と戦争は、したらイカン。絶対、繰り返しちゃならんぞ。あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。 幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。 今、私たちは。 子どもたちに、その先の未来まで、これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。風化させてはならず、他人事にしてはならず。 そのために。 白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。 この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。 ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。 それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。きっと62年前と同じように。