いよいよ、明日は公示日。注目の参院選が、その本番を迎える。 この日の私は、日中は、各方面折衝と遊説計画打合せなど、担当部門の最終確認を行い、夜は、お世話になっている地元の皆様の会合に参加させて頂き、御礼と決意を述べさせて頂いた。 いうまでもなく参院選は、国政選挙である。それは、日本の未来を選択する私たちの権利だ。 格差に関係なく、皆に与えられる、公平にして尊い権利。だからこそ、各候補、各党の主張を、じっくり聞いて、しっかり考えて、臨みたい。 私は、そして私たち公明党は、比例区予定候補の「山本ひろし」を、万感の思いと情熱をもって応援している。なぜか。庶民の心がわかり、庶民の声を託せるに足る人物と信じるからだ。 公示日の明日は、私も、街頭遊説で同行をさせて頂く予定だ。一人でも多くの有権者の皆様に、彼の人物と、見識と、行動力を、知って頂き、感じて頂き、信じて頂けるよう、全力でお訴えしたい。 そして、日本の未来をみんなが考え、しっかりと選択する、そういう参院選となることを、心から期待したい、と思う。 まずは私自身が、明日からの18日間を、最後の最後まで戦い抜いてまいりたい。皆様のご期待にお応えするために。皆様と喜びを分かち合うために。
快晴ならぬ快曇、とでもいえそうな、みごとな曇りの日。そんな天候とは裏腹に、心晴れやかな1日となった。 理由は、ひとつのことの成就にある。小さいけれど、私にとっては大きな成就である。 約2ヶ月前の、4月下旬のことであった。あるご婦人から1本の電話を頂く。とある交差点の危険防止についてのご相談であった。 すぐ視察に飛んだ。ご指摘の危険を確かめた上で、各部局との折衝を始め、検討・調整を行っていたものが、この度、正式に措置が決定。ようやく危険防止の手はずが整う運びとなったものである。 大型カーブミラー、標識、停止線の設置という、申し入れ通りの対応措置をとることができたわけである。早速、ご婦人にご報告を差し上げ、ご安心を頂いた次第となり。 ご助言を頂いた小林みやこ松山市議を始め、ご尽力を頂いた県庁・県警各部局の皆様に、心より感謝したい。 と、2つのことを、思った。1つは、力を合わせることの大事さと有難さ。もう1つは、生活者の要望を実現することの喜び。解説も、補足も、ない。掛け値なしで、そう思った。 財政や少子高齢化や、社会保障・年金制度や税制や。解決すべきもっともっと大きなことが、山積する中で。交差点の対応措置それ自体は、小さなことかもしれない。 しかし、大事なことは、問題の大小ではなく、解決の実現なのだ。政治が問われるのは、政治が関与する生活上の課題を、解決するのかどうか、したのかどうか、である。 私は、1つ1つの生活課題と、生活者ひとりひとりのご要望に、行政も議員も真摯に向き合い、力を合わせて取り組むという、この力を合わせて、という部分に、生活課題解決の方程式を、信じる。これ以外ない、と。 不安から安心へ、不信から信頼へ、そして不満から満足へ。政治の知覚品質の転換は! 大海をバケツで汲み出すが如く、玉ねぎの薄皮を1枚1枚剥いで元に戻すが如く、投げ出しそうな困難をも乗り越えて、征かねばならない道程だ。 記事にもならず、ニュースにもならないが、地道にして、ひとつひとつ、生活者の思いを成就していくこと。それが、遠回りに見えて、最も近道であると、私は信じる。 そう思ったときに、今日のひとつの小さな成就は、私にとって大きな成就、なのである。
参院選モードが、加速してきた。朝、起きて新聞。昼食時の、テレビ。車で移動中の、ラジオ。 どのメディアでも、終日、同じような論調が繰り返される。年金問題、内閣支持率、農相経費問題、勝敗ライン・・・、一言でいうと、それは、怒りである。 一庶民として同感するほどに、一地方議員としての苦悩は深い。しかし、それが私の仕事であれば、何としても怒りを安心へ、転換させなければならない。 しかるに、庶民の怒りの原因をたどっていくと、行き着くのは、政治の倫理と経営技術の2つ。 閣僚の不用意発言やお金にまつわる不祥事の類は、政治倫理の問題で、最終的に、議員個々の資質と責任が問われるべき問題といえよう。 また、年金や税金等で庶民にかかる負担増といった問題は、その源泉は800兆円に迫る国の借金であり、それを生み出した国の経営技術と責任が問われる問題といえるか。 では、どうするか。原因究明も、犯人探しも、大事だ。が、それ以上に、これからは、政治倫理にもとる政治家を出さないし、800兆円の借金返済を含み、かつ弱者に配慮と責任ある政策を行う、といった未来の選択に、目を向けたいと思う。 怒りをぶつけるというならば、今回の参院選は、それらを満たす候補と政党はどこなのか、パフォーマンスの向こう側までも、私たち自身の頭で考え、きちんと選ぶことが極めて大事なことではあるまいか。だからこそ、怒りを安心へ、私と、私たち公明党の戦いは、明日も続く。 眺めるTVに映るキャスターの怒りは、まだ収まりそうもなく。
朝、ひとつの求人広告が目に留まる。 タイトルは、「香川県公立学校長候補募集」。媒体は、日本経済新聞。広告主は、香川県教育委員会事務局である。 募集するのは、公立小学校長・公立中学校長、各1名。その資格は、民間企業等で管理職、又はそれと同等の経験を有する人、とある。 で、6/24の本ブログでもご紹介した、東京都の区立中学校長である藤原和博さん。 彼が提唱する、公教育への民間マネジメントスキルの導入、つまり、校長先生の民間公募というエポックは、今後、あちこちでポツポツ始動し、一定の、確かなる潮流となっていくだろう。 ということを予感した矢先の、おとなり香川県での校長募集であった。新しい試みに、まずは拍手を送りたい。 さて、教育現場に目を移すと、いじめ・自殺・虐待・学級崩壊等、厳しい現実が毎日のように取り沙汰されている。 待ったなしの状況の中、政治の傍観は許されず、安部首相は昨年10月、教育再生会議を立ち上げ、その取り組みを進めている。 21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進していく、との意気込みだ。 一方、わが愛媛県の教育行政は如何。 もちろん、一口に教育といっても、義務教育から生涯教育まで、子育てから人権まで、そのドメインはあまりに広くて、深いのだが。 抽象論ではない当事者感覚として、わが県で今、何が問題と感じておられるか、生活者の現場に飛び込み、その具体をお伺いすることから始めたい、と思う。 もちろん、メールからでもお聞かせ頂ければ、ありがたく、幸いである。 ��写真は「校長先生になろう!(藤原和博著)」)
笹の葉さらさら、軒端に揺れる、お星様きらきら、金銀砂子。 今日は、七夕。三つ子の魂のメロディが、頭をよぎる。 いうまでもなく、それは、彦星と織姫の、年に一度の逢瀬の日。一説によると、その伝説の起源は3世紀の中国と。 1,800年の悠久を超えて、今日も、全国に、願いを込めた短冊は揺れているだろうか。 さて、あるご婦人から切実な願いを頂く。過疎地における医療格差の深刻について、だ。 これは、今日のみならず、今年に入ってから途切れることなく、県下いずれの農山漁村・中山間地域からも寄せられる、共通のお声だ。 もっというなら、全国同時多発、医療格差だ。 私が所管部局に行った取材においても、また、複数の議員が、本会議の質問で取り上げた際にも、理事者側のスタンスは、いずれも一貫している。 何とかしたいのは山々だが、現在のところ、それがいかに困難であるか、という理由説明と、それに対して行っている精一杯の次善対応への取り組みにご理解を、というカウンターパンチならぬ、カウンター要請だ。確かに、ではある。 財源不足、医師不足。診療科目ごとの医師の偏在、病院経営の不振あるいは破綻。患者を支える家族の負担の増大。その要因を一つ一つ見ていくと、この問題解決の糸は非常に複雑に絡まる。 出口の見えない現状と、答えを見出せない現実に直面し、不安に駆られ、あせりを覚えるのは私一人ではないだろう。 しかし、この問題。何とかするんです、の肚をまず決めたい。 策や方法も大事だが、最も大事なことは、議員も行政も、当事者の気持ちに立つことであろう。 どんな人でも、それが自分の家族だったら、自分のかけがいのない人だったら、どんなことをしても助けたい、と思うように。 今年の七夕は、あいにくの雨。残念ながら、天の川は見えないけれど。 星に願いを、との祈りにも似た気持ちで、問題解決に向けたこれからの取り組みを、誓う。