11:00。松山市森松町の重信川河川防災ステーションにて、松山市水防センターの竣工式に出席。国土交通省と松山市が2001年から整備を進めてきた本事業の総事業費は、約5億7000万円。 同施設のミッションは、重信川の水害などの災害時における南部地域の防災拠点となること、そして、平常時においては市民の防災・水防意識啓発向上の研修拠点となること、である。国民の生命と財産を守ることは、政治の最大のミッションである。県議としては、県レベルでの防災に常にアンテナを高くしておく必要性を、強く感じたひと時であった。 午後、久万高原町を訪問。あるご婦人から、痛切な要望を伺った。この町では今、建設・土木関連企業を取り巻く環境が深刻だ。農業も含めて、本当に待ったなしの厳しい状況である。特効薬は、ない。さあ、どうする、というこの場面。民も官もない。この町すべての智恵を総動員し、依存を捨てて、自ら助くるものに変わるときだ。 そんな気持ちを抱きながら、上黒岩考古館を訪ねた。12,000年前の遺跡を、係員の丁寧な説明を聞きながら見学。古代へのロマンを激しくかきたてられた。磨けば光る、この町の貴重な財産価値。一方、こちらの見学料、大人1人100円である。ちなみに私が訪れた16:00時点での本日の来館者は、2人。とても係員の人件費はまかなえないだろう。小さな赤字の累積。せっかくの財産価値も、これでは早晩運営が立ち行かなくなるのは自明だ。思わず、唸る。この町の苦しみと困難に、どこまでも寄り添って、解決の糸口を見出したいと思う。 ��写真は、重信川河川防災ステーション・松山市水防センター竣工式会場)
雨音で目覚める。石手川ダムの貯水率が80%を切り、心に“どよん”と水不足に対する不安が広がる中、久々の慈雨である。傘を差しながら、今日も市内を歩いた。お昼までに、背広は雨に濡れ、ずしりと重くなった。 午後、庁内折衝の後、お世話になった方々へのご挨拶のため、西条市へ移動。思いがけず、懐かしい友人に再会。約20年ぶりか。お互いの若き日に、とある人材グループで切磋琢磨した仲間である。人の不思議は、一瞬にして、当時にタイムスリップすることである。ひとしきり語らった後、それぞれの来し方と未来に思いを馳せた。感慨とともに、新たな決意が漲る。雨上がりの、西条でのみちみち。水を張った田んぼに目がとまる。車から降りて、近づいた。曇り空を水面に移したその中をのぞきこむと、いろんな生き物が賑やかだった。それぞれが一生懸命に、生きている。昔習った、食物連鎖と生態ピラミッドを思い出した。自然は、実に合理的にできている。 そして、すっかり帳の下りた帰り道。そのように営まれる大自然と環境を、決してなおざりにしてはならないぞ。蛙たちの大合唱が、窓を開けて車を運転する私に、そう訴えているような気がした。
今日も、市内を汗だくで歩く。様々なご意見を、真剣に伺う。 生活現場主義の実践だ。そして、継続は力。当選後、お会いしたその数は、今日で6,000名を超えた。出藍の誉れ宜しく、私の中でかけがいのないものが凝縮されていく。 お伺いするご意見の中には、政治と政治家に対するご批判も、当然含まれる。また、完全な不信と絶望を述べる方も、中にはおられる。 痛恨を感じる一方で、だからこそ、私は、足下を掘ることに徹したい。そこに泉あり、と思うからだ。岩盤にスコップの決意と、建設は死闘との勇気と覚悟で、1歩づつ。 昼下がり。市内を1歩入ると、そこは“せこ道”。狭く、くねった、抜け道だ。昭和の時代、全国のどの町にもあった、ごく当たり前の風景。網の目のように張り巡らされたその道は、1軒1軒を結ぶ私道であり、1人1人をつなぐ生活道であった。こんにちは。おかえり。そこにはいつも、生活の息づかいが感じられた。せこ道を歩きながら、あの遠い日が、頭の中でフラッシュバックした。心の中で呟いた。景色は変わる、風情は変わるな。日本も、日本人も、と。
おかげさまで、今日もハードな1日。午前=雑誌インタビュー取材・企業訪問、午後=議会打合せ・庁内折衝、夜=党員懇談会、そして22:30帰宅となる。床につくのは、さて? 午前中、取材を受けたのは、政・経情報誌「月間愛媛ジャーナル」。今回当選した新人県議のシリーズ特集ということで、加藤編集長(株式会社愛媛ジャーナル/常務取締役)による約1時間のロングインタビューとなった。何しろ、私にとっては初めての経験。体当たりで、今、感じているありのままをお答えさせて頂いた。支持者の皆様に対する思いがお伝えできれば幸いだ。論の稚拙は、加藤編集長の華麗なエディトリアルスキルに期待したい。記事の掲載予定は、6月20日発売の7月号、だそうだ。で。そうだ、そういうことなんだ、と感じたのは、庁内折衝でのこと。県庁職員は、テクノクラートにできているのである。そんなこと、いわずもがなである。広告の営業をしていると、だんだんプロデューサーになっていくのと同じである。ただ、その労働の家風が異なり、メンタリティが異なるだけである。 県民本位に照らし、その差異を昇華できたとき、私たちは、実に不可分の、頼もしいパートナーとなるのであろう。当選1ヶ月の毎日は、イメージトレーニングの毎日。 ��写真は、公明党愛媛県本部での雑誌取材風景)
初夏を思わせる、暑い1日。今日も市内を、汗だくで歩く。その中でお伺いする地域や暮らしに関するご要望は、際限がないかのようだ。知見も経験値も乏しい私に、即答は背伸びだ。今、私にできること。それは、ご要望の1つ1つの事実とお気持ちを、細大漏らさずお預かりすることであろう。 いうまでもなく、公明党の特質は、その精神的フラット構造にある。世間では、国会議員が上、地方議員は下、という階層イメージが強いが、公明党ではそれは役割の違いと認識する。ネットワーク政党と呼ばれる所以が、そこにある。 ゆえに、私がお預かりさせて頂いたご要望は、すべて、国会・市町会議員の諸先輩方と適切に連携し、そのご助力のもと、確実に、誠実に対処させて頂く所存である。そして、何よりも当事者の気持ちに寄り添って事に当たることが最も大事であろう。そうでなければ、単なる事務処理にすぎない。公明党議員の本質は、本当に大変な思いをされましたね、という自らの皮膚感覚で当事者に共感するところから、1つ1つの問題解決に取り組む、その姿勢にこそあるのだ。 考えながら、ふと、空を見上げた。初夏の日差しがまぶしい。つと、荘子の名言を思い出した。余(わ)れ宇宙の中に立ち天地の間に逍遥す。かの境地に思いを馳せながら、今度は木々を見上げる。風にさらさらと揺れる若葉が、あせらずに、背伸びせずに、とささやいているようだ。