今日も、久万高原町を歩く。新たな出会いと、久しぶりの再会と。悲喜交々の生活現場にあって、将来に対する不安はこの町に住む人々の共通認識だ。 ある壮年のやり場のない怒りが、心に突き刺さる。 ひとことで言うと、町は何をやってるんだ、ということである。それは、昨日も一昨日も、耳にした内容だ。この3日間でお話をお伺いした83名の内、9割以上の方々のご意見であった。火山でいうなら大爆発寸前の兆候か。同じ庶民として、お気持ちが痛いほど伝わってきた。 そして私は、あえて方々に伺った。その思いを、役場や、町長や、町議にぶつけたことはありますか?と。ほぼ全員が、NOであった。痛かった。私は、真剣に訴えた。では、そこからスタートしましょう、と。町の広報にも“これからの久万高原町の行政、自治のあり方について、町民の皆さまと共に考えさせていただきたい”とありますよ、と。 いつかはよくなるだろう、とか、誰かが何とかしてくれるだろう、というのは残念ながら、ない、だろう。少なくともそれはビジネスでは、ない。一方、この町の年間約166億円というマネジメントの成否は、まぎれもなくビジネスマターなのだ。そうであれば、ビジネスチャンスは自ら創り育てるものなのである。久万高原町の未来を共に創り拓きたいものの一人として。悲嘆のメンタリティを乗り越えて、ポジティブな知恵を糾合し、町と人の可能性を切磋琢磨する場所を、流れを、作りたいと思う。満月が東から昇るように、改革は現場からだ。��写真は久万に浮かぶ宵の満月)