今日も、久万高原町を歩く。新たな出会いと、久しぶりの再会と。悲喜交々の生活現場にあって、将来に対する不安はこの町に住む人々の共通認識だ。 ある壮年のやり場のない怒りが、心に突き刺さる。 ひとことで言うと、町は何をやってるんだ、ということである。それは、昨日も一昨日も、耳にした内容だ。この3日間でお話をお伺いした83名の内、9割以上の方々のご意見であった。火山でいうなら大爆発寸前の兆候か。同じ庶民として、お気持ちが痛いほど伝わってきた。 そして私は、あえて方々に伺った。その思いを、役場や、町長や、町議にぶつけたことはありますか?と。ほぼ全員が、NOであった。痛かった。私は、真剣に訴えた。では、そこからスタートしましょう、と。町の広報にも“これからの久万高原町の行政、自治のあり方について、町民の皆さまと共に考えさせていただきたい”とありますよ、と。 いつかはよくなるだろう、とか、誰かが何とかしてくれるだろう、というのは残念ながら、ない、だろう。少なくともそれはビジネスでは、ない。一方、この町の年間約166億円というマネジメントの成否は、まぎれもなくビジネスマターなのだ。そうであれば、ビジネスチャンスは自ら創り育てるものなのである。久万高原町の未来を共に創り拓きたいものの一人として。悲嘆のメンタリティを乗り越えて、ポジティブな知恵を糾合し、町と人の可能性を切磋琢磨する場所を、流れを、作りたいと思う。満月が東から昇るように、改革は現場からだ。��写真は久万に浮かぶ宵の満月)
今日は、久万高原町を歩く。旧の美川村だ。老・壮・青さまざまな方々とお会いし、その暮らしぶりについてお伺いした。美川に対する誇りと愛着がいかに強いか、ということを肌で感じさせて頂いた。と同時に、将来に対する迷いと不安が拭いきれない、あせりのようなものを感じた。 合併して久万高原町となったこの町に今、最も必要なものは何か。それは、時間を切ったビジョンであろう。あと20年で、町を創りかえるくらいの危機感と意気込みが必要だ。そのような持論を、地元の方々にぶつけてみた。率直な意見交換で盛り上がる。目の色が変わり、友情の芽生えを感じた。嬉しかった。 厳しいのは、この町に限らない。一部の都会を除く、全国いずれの自治体も等しく経営難に直面しているのだ。そして、その答えはどこかにあるのでは、ない。トライ&エラーの取り組みの中で、共に自らが見出す以外にないのだ。私のなすべきことも、また自明である。 ふと目に止まった、そよ風に揺れるマーガレット。その花言葉は「真実の友情」である。
成果、ということを考えてみる。辞書には「あることをして得られたよい結果」とある。端折ると、よい結果、のことである。 では、私の今日1日の成果は、どうか?市民相談にて当事者同行での部局折衝、党会合の外部関係者との打合せ、久万高原町での支持者訪問。折衝はうまく運び、打合せはスムーズに進み、支持者への久万再生のアイデア訴求は力強い賛同を得た。今日1日、やるべきことを、誠実に果たしたと思う。しかし、「成果」という点ではどうだろう?辞書にいう、よい結果、をもたらせることはできたのだろうか? ドラッカーいわく、「成果は組織の内部ではなく外部にある」と。つまり、私の今日1日の成果は、ご相談を頂いた当事者が、打合せを行った外部関係者が、そして久万高原町でお会いした支持者の方々が、判定すべきものなのである。その通りだと、思う。 明日も、方々へ出かけ、様々な方とお会いし、語りあう予定だ。1日1日着実に、成果を上げたいと思う。
今日の公明新聞に、私の活動記事が掲載された。日頃、本ブログに綴る心情そのままに、記者の取材にお答えさせて頂いたものである。 それにしても。取材される側、つまり公にされるというのは本当にシビアなものである。当然だが、民間時代にはそんな場面に遭遇したことも、考えたこともなかった。どんな媒体にせよ、公となった発言は一人歩きをし、そしてまた、発言の責任はすべて自己に帰着するのだ。 特に、政治家の発言は重い。ゆえに、その問題発言はマスコミの格好の材料となる。掲載記事を読みながら、言行一致で初心を貫くことの厳しさを自覚し、決意を新たにする。(写真は5/28付公明新聞7面の掲載記事)
愛媛の西南端、愛南町を訪れる。汗ばむ初夏の日差しが、夕方からどんよりと黄砂に煙る。ぼんやりとした、オレンジ色の太陽。なんだか、南予の経済状況とだぶる。 その南予を代表するブランドといえば、柑橘・じゃこ天・真珠などが挙げられる。ふらり、真珠のおみやげ店に立ち寄る。ネックレス関連アイテムが多彩だ。さすが本場である。感じ入りながら、ショーケースを眺める。そして、買物客のつもりになって、店内を1周。正直、当惑した。 値札を見ると、下は1,000円から、上は数百万円まで。価格幅が、なんと数千倍である。多くの買物客は混乱するだろう。私も、何を買っていいか、混乱した。スーパーで売る1,000円の服と、百貨店で売る100万円の服が、同じ店内に並ぶということがあるだろうか?ハイエンド商品と普及品では、ターゲットも、売り方も、販路も、全く異なるのだから。おみやげ店というコンセプトで商売するなら、数百万円のアイテムに積極的な意味は見出せない。このお店には、時代にあったビジネスコンセプトの再構築が必要だろう。而して、南予の真珠業界全体にあてはまる課題ともいえそうだ。 愛南町で、例えば、私が気になるのは、武田農園さん(農業生産法人株式会社みかん職人武田屋)。河内晩柑を主力に、こだわりの柑橘を作り、通信販売で、全国のこだわりリッチ層に売る。ビジネスコンセプトが実に明快。売上も4年で3倍と急伸だ。規模はまだ小さいけれど、将来性は非常に大とみる。 地元を愛するこのような新しい力が、チャレンジ精神が、この地域にますます広がり、ビジネスセンスを磨いていく中にこそ、南予復興のカギがあるだろう。そのための啓発活動とサポートに、惜しみなく注力したい、と思う。(写真は御荘湾に浮かぶ牡蠣筏)