早朝、高浜港を出港し、まずは津和地島へ!因島生まれ・伯方島育ちの私にとって、波間を走る船は揺りかごだ。幼い頃のDNAが騒ぎ出すかのように、ワクワクと津和地へ、その第一歩を印す。 空は快晴、海は凪。お会いする支持者のお一人お一人は、まるで故郷の父母であり、親戚であり、また友人であるかのように・・。また、高級たまねぎ出荷の最盛期にも関わらず、お手を止めて、足を止めて、温かく私を迎えてくださった。ミニ演説会にも熱心に耳を傾けてくださり、心より感謝。 午後は、怒和島へ移動。軽トラの荷台で、風に吹かれながら、支持者を訪問。小さい頃、父親がみかん畑へ仕事に行くとき、お供をして、同じように風に吹かれた。胸が、キュン、だ。イヨカンをはじめ柑橘の出荷最盛期にも関わらず、ここでも支持者の皆様は温かかった。 さて、問題は、島で生きていくということの現実だ。第1次産業が経済の中心であり、究極の少子高齢化に直面しているというのが、どの島にも共通した現実課題である。 終日の対話の中で、私は、この島に暮らす皆様の、目となり耳となって、ともに課題解決に当たろうと、決意を深くさせて頂いた。都会育ちではなく、島育ちである私の使命が、そこにあると信じて。
28日12:00から松山市内のホテルにて開催された公明党愛媛県本部主催の政経文化パーティに参加した。加戸愛媛県知事様始め、国会議員・地方議員・地元各首長、財界、団体、有識者各位の代表約500名にご来臨賜り、熱気に包まれる中、盛会裏に終了した。 席上、今春の統一選予定候補者の一人として壇上にてご紹介頂く。また、歓談では100名を超える皆様とご挨拶を交換。もったいなくも、熱心に応援くださる支持者の皆様から多数激励を頂戴し、記念撮影にも喜んで応じさせて頂く。何としてもこのご期待にお応えせねば、と深く心に刻みながら、有意義で心温まる交流のひと時となった。 特に、その決意を後押しするかのような太田代表のスピーチは、まさに圧巻。“政治家は、何を為したかという結果こそが、問われるすべてである(趣意)”と。まさに、然り。一同快哉であったろう。 私は、まだそのスタートラインに立ったばかりの身ではあるが、今日の大感情を忘れることなく、振り返ったとき、立ち返るべき原点の1日にしていきたいと思う。さあ、明日からまた支持者の皆様の中へ、前進だ!
夕刻より宇和島へ移動。松山から約1時間半。近くなったものだ。交通インフラの整備により、隔世の感あり。 “肱川あらし”たなびく中、宇和島着。500名近い支持者の集まる会場は既に熱気ムンムン。この寒い中を駆けつけて頂いた皆様に、心から感謝しながら、まずは自己紹介を行う。 愛媛の“しまなみ”で育ったとはいえ、南予にはほとんどなじみの薄い私である。受け入れてもらえるだろうか?かすかな心配を抱きながらも、はたして皆様は、私の胸中の履歴と未来に対する決意に対し、心からの拍手を送ってくださった。 孟子がいわく、“至誠、天に通ず”とはこのことかと。有難い!感激に胸を熱くするとともに、愛媛150万県民に対する責任を、強く深く、自覚させて頂いた貴重なひと時となった。
今日は「藪入り」。かつて奉公人が一時的に暇を許され、生家に帰ることができた日。奇しくも、しまなみの“因島”で生まれ“伯方島”に育ち“今治”に学んだ私としては、三十余年ぶりに“地元”に帰ることができた感無量の1日となった。 雨天も距離もものともせず駆けつけて頂いた、550名もの支持者の皆様に心より感謝したい。会合終了後は、「誉ちゃんの小さい頃をよく覚えとるよ!」「お母さんは元気?」「私の家は、誉ちゃんの下宿先のすぐ近所よ」など、まるで家族のような励ましが、矢継ぎ早に。 “故郷は遠きにありて想うもの”と詠んだのは室生犀星。普遍の名曲“わが心の故郷ジョージア(Georgia on my mind)”を歌ったのはレイ・チャールズ。 私は、故郷である“しまなみ”を代表して、これからの人生に全身全霊を込めて、愛媛の庶民の壮大なる抒情詩を謳ってまいりたい、そのように決意を新たにさせて頂いた“故郷”での有難い1日となった。
1月11日。縁起のよい1並びのこの日、松山市内の1,500人を越える支持者の集いに参加させて頂く。寒さ厳しい中、駆けつけてくださった皆様に心より感謝したい。また、駆けつけてくださった皆様の期待に必ずやお応えしてまいりたい。 集いでは、私が今感じている思いを、ありのままに披瀝させて頂いた。涙を流して共感くださる方、大声で励ましてくださる方、じっと眼を見て想いを託してくださる方、私の体を気遣ってくださる方・・・。 その皆様の思いをわが思いとしたとき、無限の勇気と希望が湧いてくる。重大なる責任を使命に代えて、大前進あるのみだ。