午前、 地元雄郡地区自主防災連合会主催の 防災訓練に参加してまいりました。 表題は、わが地区の合言葉です。 力強く、心に響くメッセージです。 会場となった小学校体育館に訪れた参加者は 昨年を上回る、総勢約500名。 ��・11を教訓とした防災意識の高まりを とても心強く感じるとともに、 心して災害に備えよ、と被災地で感じた 犠牲者の祈りを思い返し合掌する思いで、 冒頭、来賓挨拶を述べさせて頂きました。 ��月・9月議会でもお訴えした通り、 防災対策強化に決して終わりはありません。 自分の命は自分で守るという自助の涵養と、 要援護者を含めて逃げられる共助の拡大と、 命を優先する政策の推進による公助の強化。 その絶えざる前進と向上に向けて、 県民の皆様のご理解とご協力を頂きながら、 精一杯取り組んでまいりたいと思います。 末尾ながら、本日の防災訓練にご尽力を頂いた 全ての関係各位に、心より感謝を申し上げます。
午前、エネルギー・防災対策特別委員会を傍聴。 議題は「総合的な土砂災害対策の取組みについて」。 山間部が県土の約83%を占める本県にあって、 土砂災害発生に大きな影響を与えるのが、降雨量。 最近10年間と、その前の10年間を比べると、 降雨50㎜/h以上の発生回数は、何と1.3倍に増加。 さらにその前の10年間からは1.4倍と、 気候変動によって降雨量が確実に増え続けています。 このことは土砂災害の発生確率の増加に直結し、 その対策強化の必要性について論をまちません。 一方、本県の公共投資額は年々減り続け、 15年前のピーク時に比べ、約1/4の水準。 命を守ることを最優先とする財政健全化の実現を 追い求めてまいりたいと思います。 午後は、私が所属する 行政改革・地方分権特別委員会に出席しました。 本日の議題は「これまでの行政改革の取組みと 新しい行政改革大綱について」。 月末に行われる大阪府知事・大阪市長選では、 大阪都構想が大きな争点となっていますが、 その行方とともに、行革・地方分権こそは、 今後最も重要で関心の高い政治課題となるでしょう。 その中で、私自身、 将来における本県と国のあり方等について しっかりと構想をお示しできるよう 精進してまいりたいと思います。
本日は、東北電力・女川原子力発電所を視察。 早朝、南三陸町を出発し、 バスで海岸伝いに北上すること2時間弱。 近づくにつれ道路は険しく、 景色も凄惨なものへと変化していきます。 女川原発では、南相馬市ご出身の渡部所長から、 震災被害状況と緊急安全対策等の対応について お話を伺いました。 同発電所の1号機と3号機が通常運転中に、 ��号機が原子炉起動中に震災が発生したが、 すべての原子炉が自動停止し津波の直撃も免れ、 大規模事故に至らずに済む一連の経過説明の後、 震災後の対応と現在推進中の安全対策について、 現場を移動しながら詳しくご説明を頂きました。 有事の際は平時のつもりで、 平時の際は有事のつもりで! という理念を持ち場ごとに徹底してこられたこと。 新たな知見が出る毎に、 例えば敷地の高さを14.8mに引き上げたり、 法面に防護の補強を施したりといった、 あと一歩の努力を尽くしてこられたこと等のほか、 積極的な情報公開により住民不安の解消に努める 企業としての真摯さが伝わってまいりました。 あと一歩の努力と、真摯な対話。 政治こそ、その1点を絶対に忘れてはならない、 との自戒とともに、 決意を新たにさせられる最終日の視察となりました。 ��日間、訪問先で頂いた分厚い資料を頭に、 かけがえのない現場体験を心に刻みながら、 全力で、 本県の防災力強化に努めてまいりたいと思います。 末尾ながら、 視察にあたりお世話を頂きました関係各位に 心より感謝を申し上げます。
本日は、仙台市議会と南三陸町観光協会を視察。 仙台市議会では「東日本大震災における被害状況 及び復興状況」についてお話を伺いました。 死者704名、行方不明者26名。 被害推定額、約1兆297億円。 沿岸部を中心とした甚大な被害状況について 資料をもとにつぶさに、また、 防災ヘリが捉えた、震災当日の津波が押し寄せる 壮絶な瞬間を、映像で確認させて頂きました。 見終えてしばらく声が出ない、どころか一瞬にして、 あの3月の、TVを前にした呆然、に逆戻りです。 が、前に進めなくてはなりません。 仙台市ではこの間、今後5カ年にわたる震災復興計画 を策定し、多様な市民の声を踏まえ今月末に、確定。 ��1月の臨時議会での議決を目指しているとのことで、 その概要についてご説明頂きました。 しなやかでより強靭な都市の構築に向けて、 ��00万市民の本気と熱意が伝わってきました。 但し、 計画遂行にはあまりにも多くの法整備が伴い、 これを実現するには相当の困難が必至ともいえ、 市と県がどのように国を動かすことができるか、 まさに地方分権を一歩進める戦いでもあります。 その意味では、本県も立ち位置は同じです。 共闘支援体制を継続してまいりたいと思います。 次に向かったのは、南三陸町観光協会。 観光復興プロジェクトについてお話を伺いする前に、 語り部ガイドさんのご案内により被災地を視察しました。 防災対策庁舎では、最後まで防災放送で避難を呼びかけ 犠牲となられた遠藤さんをはじめ、多くの犠牲者の皆様に 心からご冥福を祈り、全員で黙とうを捧げました。 震災を教訓とし風化させないことが私たちの使命、 との語り部ガイドさんの思いをしっかりと受け止め、 つなぎ、広げてまいりたいと思います。 そんな視察の途中、異変に気づきました。地盤沈下です。 私たちが滞在していたつかの間でさえ、次第に海水が 陸地にあふれこんでくる様子がわかりましたが、 お話によると町沿岸部では、震災前に比べ ��0cmから1m近く地盤が下がったとのこと。 一瞬で地形さえ変えてしまう自然の摂理に圧倒され、 ここでもまた、声と色を失う思いに駆られました。 そんな中、 協会では観光復興プロジェクトを数々手掛けられ、 “失ったものは多いけれど学んだことの方が遥かに大きい”、 “被災地としてではなく、 こんなに復興した地としてお越し頂きたい”、 といった情熱がほとばしるお話を伺い、 逆にこちらが勇気づけられるひと時となりました。 南三陸町の1日も早い復興を心から祈念しつつ、 体感した自然の脅威と犠牲者への敬意を忘れず、 更なる復興支援と本県の防災力強化に向け、 全力で取り組んでまいりたいと思います。 ��S. 写真は、地盤沈下で海水が流れ込む寸前の南三陸町。
今日から3日間の日程で、 県議会環境保健福祉委員会の県外視察に出発。 初日の本日は、福島県庁・福島オフサイトセンターを訪れ、 福島第一原発事故への対応状況についてお話を伺いました。 ��9.0の太平洋沖大地震に端を発する東日本大震災は、 本年3月11日14時46分に発生。 それからどのように事故発生に至るか、 まさに「分刻み」での進展をご説明頂きましたが、 歴史に「たられば」は通用しないという現実に、 あらためて無念さが込み上げてまいりました。 原発事故は原子力災害対策特措法に基づき 国の管理下で行うことになっていますが、 その拠点となるのが、国のオフサイトセンター。 福島では当初、大熊町に立地されておりましたが、 福島第一原発から5㎞圏内であったため、急遽移転。 現在、福島県庁内に場所を移し、 原子力災害現地対策本部として機能しています。 ヒアリング説明の後、早速センターである 原子力災害現地対策本部を伺いました。 大会議室といったフロアには、ズラリ総勢100名超。 経産省、文科省、厚労省、国交省、農水省、環境省など 国からの派遣職員と、 県をはじめ警察、消防、自衛隊、東京電力などの 関係機関がそれぞれテーブルで島を作り班分けして、 執務に当たられていました。 正直なところ余りにも手狭であり、セキュリティの面 ��つ取っても不安は否めずという状況ではありましたが、 そうした中で真剣に取り組まれる本部スタッフの皆様に あらためて感謝と敬意を表したいと思います。 ひるがえって現在、八幡浜市保内町に立地する愛媛県の オフサイトセンター(県原子力センター)は、まさしく 伊方原発の5㎞圏内。 先頃打ち出された国の防災対策重点地域の拡大と、 これから打ち出される避難準備の方向性を踏まえ、 立地はもとより、国や自治体等との連携や役割を含めた 抜本的な見直しが必須といえます。 原子力防災を所轄する委員会として、 今後しっかり議論を積み上げてまいりたいと思います。 視察初日の終わりに。 仙台市内で会食しながら、現地でしか聞けないような 涙を禁じえない悲痛なエピソードを、お伺いしました。 震災は、目には見えない人の絆や心の奥底にまで 計り知れない爪痕を残したことを痛感するとともに、 どこまでも被災者の心を心として被災地復興に全力を、 との政治の肝要について教えて頂いた気がします。 貴重な知見を必ず県政に活かしてまいりますとともに、 視察先の皆様に心から御礼を申し上げたいと思います。