本日、徳島市内で開催された公明党四国夏季議員研修会に出席。
党本部から山口代表をお迎えするとともに、今回は党北陸信越方面本部長の中川衆議院議員、小松石川県幹事長にお越し頂き、能登半島地震発生以降今日に至るまで地元議員と国会議員がどのように連携し、被災者や自治体とどう向き合いながら支援活動に取り組んできたのか、被災当事者ならではの赤裸々な活動報告を頂きました。
その後、能登半島地震を踏まえた南海トラフ巨大地震への備えについて、山崎正恭衆議院議員によるファシリテーションでグループディスカッションを行い、BCPやタイムラインなど事前の対応計画を準備しておくことの重要性について共有を図ることができました。
その他、各県を代表しての活動報告や明年の参院選予定候補・原田大二郎氏の挨拶、地元山本ひろし参議院議員、谷合まさあき参議院議員による分科会など、内容盛りだくさんで充実した研修会となりました。
本日の研鑽で得た貴重な知見を愛媛県に持ち帰り、公明党のネットワークとフットワークを生かしながら県民生活の安心安全と県政の発展に繋げてまいりたいと思います。
★なお、「能登半島地震に寄り添う公明党の支援活動」についてポイントを以下の通りまとめました。かなり長文となりますが、宜しければぜひご参照くださいませ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
【中川宏昌 北陸信越方面本部長(衆議院議員)】
〇今回の地震でこれまでにない特徴が2つ挙げられる。1つは「被災地の孤立」だ。基幹道路が寸断され陸の孤島が多数発生した。もう1つは「被災地域の高齢化」だ。特に被害が激しかった輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の高齢化率は75~61%。人の高齢化は住まいの老朽化でもあり、家屋の倒壊による圧死が多数見られた。
〇これらのことについては南海トラフを踏まえ、四国においても今から対策を考えておく必要があるのではないか。
〇被災地域(石川県、福井県、富山県、新潟県)の公明党はどのように動いたか?
〇私=中川本部長(長野県在住)は元旦発生直後、山口代表、石井幹事長に連絡し、翌日被災現場へ向かうことを報告。4県の代表、谷内石川県本部代表、小松幹事長と連携し、翌1/2の早朝より6時間半かけて志賀町に到着。
〇現地に着いても何もできないことは承知の上で、先輩の教えが思い起こされた。「現場には空気がある、においがある、そして優先順位がある」、ゆえに「何から手を着けていいか必ずわかる」という教えだ。
〇1/3輪島市へ、数時間かけて穴水町役場の避難所を訪れ、その場で大口災害対策本部長(衆議院議員)に連携を取り、食糧・医療等の支援要請を行う。
〇被災地では情報が錯綜し混乱、各議員への電話が鳴りやまない状況が続いた。そこで党本部に対し情報の一元化をお願いした。全国から被災地や地元議員、組織に対する個別の連絡はせず、党本部に集約し、それをエクセルのスプレッドシートで共有するとともに、応援頂く国会議員も19人に拡充し担当する県と市町村を決め、地元議員とチームを編成し、それぞれ支援にあたる体制を構築した。
〇LINEグループを作り、毎日オンライン会議を行い、それを議事録にした。1月は毎日、2月は2日に1回、今は月に2回行っている。
〇しばらくして党と政府の対策本部が設置され、そこで現場から吸い上げた個別具体的な要望を行った。そこで感じたことは、公明党はまぎれもなく日本で唯一のネットワーク政党であり、フットワーク政党であるということだ。
〇実は昨年5/5、奥能登で地震が発生。瓦の取れた屋根にブルーシートを貼るのだが、高齢者は自力で屋根に上ることも作業することもできない。そこで6月、私は委員会でこのことを取り上げ、災害救助法を改正して1世帯5万円、国の方で費用を見ることとなった。大変喜ばれたが、この改正が今回非常に有効に活用された。
〇正月でもあり、被災された自治体職員も多い中、罹災証明書の発行の遅れが深刻な問題となっており、国に対して仕組みの簡素化を求めるとともに、トイレトレーラーの派遣、公費解体の支援、特に北陸は納屋や倉庫、車庫との併設家屋が多く、被害認定に支障をきたすことが多いため公費解体が進まない状況があった。その他、盗難が多発したため、防犯カメラ1000台の設置を要請した。
〇一連の支援活動を通して私自身、3つのことを学んだ。
〇1つ目は、1/21山口代表と穴水町の避難所を訪れたときのこと。あるご婦人に対し、手を握り肩を軽く叩きながら「大変でしたね、公明党が皆さんの思いをしっかり受け止め、復旧を支援していきますよ」と励ましねぎらう山口代表に対し、「こんなところまで来てくれてうれしい」と涙を流して喜ばれる姿であった。山口代表の振る舞いを通して、まずは人々にしっかり寄り添うこと、そして心のこもったコミュニケーションができること、このことが政治家の資質として最も大事なことだと学ばせて頂いた。
〇2つ目は、赤羽衆議院議員と漁港を訪問した時のこと。「公明党ができることは何でもやらせて頂く」と力強く励ましを行う赤羽議員の「災害時は平時と違う。支援する法律がなければ作ればいいじゃないか」との確信と気迫に満ちた言動に感動した。
〇3つ目は、災害支援は制度を作って予算を付ければ終わりではないということ。必要な物資の調達を指示することは誰にだってできる。重要なのは、指示した後、物資がしかるべきところに届き、届くべきところにちゃんと届くまで、最後までしっかりと見届けることが最も大事だ。
【小松実 石川県本部幹事長(県議会議員)】
〇今回の地震で339名の方がお亡くなりになった。元旦で帰省客と観光客でいっぱいというタイミングで発生したこともあり多くの方が犠牲となられた。心からご冥福をお祈りする。
〇私は自宅でそろそろ夕食にとビールを開けた瞬間、地震が発生。結局、そのビールは2週間そのままの状態で残っており、廃棄処分することとなった。
〇発災の瞬間、まずは安否確認に全力を注いだ。しかし話し中も含めて、思うように電波が繋がらない。そこで、個々の対応や問い合わせは控えてもらうよう党本部へ依頼。
〇能登里山道路(国道)はあちこち陥没が見られ、かいくぐりながら6時間半かけて大規模火災が発生した輪島の朝市、隆起した海岸、全域の断水状況などを確認し、住む家を失い、極寒の中、悲痛にくれる被災者を目の当たりにし何度も言葉を失った。
〇被災者から厳しい声を何度も受けた。全身全霊で受け止めようと腹を決め、80回以上被災地へ向かった。
〇党石川県本部は18名の小さな組織。被災6市町には2人の議員が在籍。当然2人では限界があり、OB議員、党員、支持者、応援議員が集まり、毎日会議を行った。
〇ほとんどの地域が断水し洗濯ができないため、党を通じてランドリートレーナーを手配してもらった。アパートや見なし仮設住宅は空っぽのため家電購入費の助成をお願いした。雇用調整助成金の使い勝手が悪かったため改善をお願いした。罹災証明を簡潔、簡素な手続きに改良してもらった。
〇山口代表が被災地に入られる際、私から3つのことをお願いした。1つ目は、必ず金沢市から寸断、陥没した道路を通って被災地に来てほしい。大臣のように羽田からヘリコプターで現地入りなどしないでほしい。2つ目は、避難所の仮設トイレを実際に使ってみてほしい。その劣悪さ、汚い、臭い、その中で用を足さないといけないみじめさや悔しさ、だから食事や飲み物を我慢して体調を崩される人の気持ちなどぜひ肌で感じてほしい。3つ目は、避難所に避難された方の声を、どんな厳しい声があるかもしれないが、すべて受け止めて頂きたい。山口代表には3つとも快く実行して頂き、心の底から有難く感じた。
〇ここまでの大規模災害は私にとって初めての経験であり、その時パッと頭に浮かんだのが熊本地震だった。すぐに熊本県本部と連携を取り、オンライン会議を2月、3月と開催し、様々な助言を頂き、大いに学ばせて頂いた。
〇支援活動の流れとしては、①オンライン会議を立ち上げた ②石川県として国に要望する場である公明党復興会議を開催し、馳知事にも参加頂き、計3回実施した ③災害時に一番頼りになるのは災害支援団体やボランティア団体だということがよくわかった。
〇そこで合同要望懇談会を開催し、これまで接点や縁のなかった団体など24団体にそれぞれ1時間という枠でお話を伺った。それを国や県、市町村に繋げることができた。このことにより公明党に対する見方が変わり、ASになる団体も見られた ④被災地以外の地域にどう繫げていくかということは極めて大事だ。県外の方から、もう復興はお済みになられましたかといった声が聞かれ、愕然とするときもある。少なくとも10年はかかるであろう深刻な現状について国民の記憶が薄れ風化していくことを恐れる。そのため、金沢市などへの観光客に募金活動を訴えたり、被災地以外の党総支部で、あるいは党員大会で被災地の現状を訴え、復興へのご理解ご協力の継続を、今なお呼びかけ続けているところだ。
〇そこで、四国の皆様に提案したいことは4つ。
①避難所の設置について
過疎化が深刻で、発災時には行政も多くの職員が被災している。防災マップにはあらかじめ1次避難所、2次避難所が示されているが、病人や要介護者など、掌握が漏れる方が必ず出てくる。そこで石川県にお願いをして1.5次避難所を作ってもらった。
北陸は郷土愛が特に強い地域と言われる。避難するならみんなで一緒にという気質だ。自分たちだけで他所に避難という感覚はここにはない。従って、コミュニティを一にする地域一体となって、まとめて支援が受けられるような形を考えてほしい。
②住まいの確保について
応急仮設住宅はプレハブで原則2年というのが基本だが、アンケートを取ると、できれば自宅に戻りたい、仮設住宅にそのまま住み続けたいと言う人が多くいらっしゃった。そのため、当初、熊本モデルと言われる木造長屋型の計画もあったが、アンケートの声を踏まえ、石川モデルとして小単位の戸建て型を9月末までに作るよう、現在工事を進めている。コミュニティの場の設置要望も強く、仮設住宅の中に誰でもいつでも入ってコミュニケーションが取れるスペースも確保したところだ。
③入居条件の緩和について
仮設住宅には半壊以上でないと入れないが、被災現場では準半壊が多く、条件を満たさないため、高齢者などは優先して入れるようにするなどの入居条件緩和を行った。
④災害関連死について
石川県総ぐるみで4000人が仮設住宅の15000人の被災者を訪問し、連日、健康状態を確認している。被災者の状況をデータ化し、市町で共有、社協も含めて集約し、今後の見守り活動に生かそうとしている。仮設住宅以外にもみなし住宅、アパートなどに避難された方々も含めてデータ化していくことが大事だ。
〇いずれにしても、能登半島地震の復興には長期の支援が求められる。とりわけ公費解体の加速化が喫緊の課題だ。23000戸あまりが未着手となっている。法律的な仕組みは作って頂いたものの、その適用率は7%にも満たない状況だ。県としては来年10月までに完了させたい意向だ。
〇現場に入って分かったことは、産廃や建設など業者の方々は何も悪くない。精一杯頑張って頂いている。進まない理由として、家財の一時保管場所がないことや、片づけのボランティアが少ない、もしくはいないこと、リサイクル廃棄の場所が決まっていないことなどが挙げられる。
〇繰り返しになるが、皆様にお願いしたことは能登半島地震が風化していくこと、このことを最も懸念している。金沢市以南は大変賑わいを見せているが、今なお被災地には3000人以上が避難生活を余儀なくされている。生活やなりわいの再建には程遠い状況だ。あと10年以上かかる深刻な状況に今なお置かれていることを、皆様にはぜひ忘れないでほしい。引き続き末永い復興支援へのご理解ご協力を頂けるとありがたい。
- 投稿者
- 木村誉
- 投稿時刻
- 21:41