無理のある語呂合わせの記念日が多い中で、
この日は、とっても自然な感じがして、私は好きだ。
何を隠そう、私は、そろばん大好きっ子であった。
小学2年から6年まで習って、1級をもらった。
思い出すのは、当時流行った、TVコマーシャルのCMソング。
♪ね・が・いーましーては、トモエのそろーばん、パッチパッチパッチパチ。
��中略)ト・モ・エーの、そろばん、パチパチ!
昔は、世に出る心得として、読み書きそろばん、が言われたが、
大人になって、習って本当によかったな、ありがたいな、とつくづく思う。
そろばんの優れたところは、
記憶力と、集中力と、計算力が養える、ということが一般にいわれるが、
最も素晴らしいメリットは、右脳が開発されるという点にあるのではないか、
と私は考える。
暗算を例にとると、高速で動かす指先に合わせて、珠の盤面が、
頭の中で、同じ高速度で映像化されるのだから、
いわば、これは究極のイメージトレーニングである。
そう考えると。
読み書きそろばんは、すべて右脳系、つまり感性の開発手段といえそうだ。
日本人が西欧人に比べてロジカルに弱い、ということも少し頷ける気がする。
その、そろばんも、昭和40年代の電卓登場の頃から退潮が顕著となり、
今では、習う子供たちも、そろばん市場も、縮小する一方となった。
今の子供たちの習い事は、学習塾といい、スポーツといい、音楽といい、
ほとんど、次のステージに直結した実利が目的かのように見える。
決して悪くない。
悪くないけれども。
次のステージよりも、むしろ次の時代を見越して、くらいの広い心を持ちたい、と思う。
そして、私たちが、日本人であり続ける限り。
古きよき、こういった日本の伝統文化にもっともっと光を当てて、
それに見合うべき再評価と、しっかりとした継承を行わなければ、と思う。
ひるがえって、そろばんの日に。
おもむろに、押入れからそろばんを取り出して、久しぶりに、珠を弾いてみた。
予想通り、指がもつれた。
- 投稿者
- 木村誉
- 投稿時刻
- 15:37