午前、市内をご挨拶回りに伺う。
昨日同様、たくさんの真心に心から感謝があふれた。
午後、今治へ向かった。
目的は、2つ。
高校時代の下宿のおばちゃんのお見舞いと、
同窓の支持者の皆様との懇親会出席のためである。
下宿のおばちゃんの名前は、守屋さん。
今年の夏、数十年ぶりに訪ねたのだが、あいにく留守であった。
ではせめて名刺だけでも、と、当時の御礼メッセージを添えて残しておいたところ、
しばらくして守屋さんの娘さんからご連絡を頂いた。
そして、近くの病院に介護入院していることを知った。
多忙に感けてお見舞いにも行けず、ようやく今日、となったのである。
そして。
お会いできて、よかった。
たしか、守屋さんは大正2年生まれ。
だから、御年94歳ということになるのだが、数十年経っても、面影は当時のままだ。
私にとっては、いつまでも、下宿のおばちゃんなのである。
そして、心配ばかりおかけした当時のやんちゃな私であったが、よくぞ覚えていてくださった。
立派になられて、と目を細めながら、何度も何度も頷きながら。
決してまだ立派とはいえないのだが、おばちゃんの手を取り、私は語りかけた。
立派に高校を卒業もでき、ここまで来れたのは、おばちゃんのおかげだから。
それは、間違いないのだから。
ありがとう、そして、いつまでもお元気で、と。
私は、今できる最高の笑顔で、おばちゃんに手を振り手を振られ、病院を後にした。
感慨の余韻さめやらず、引き続き、懇親会へと向かう。
1年ぶりの、各位との懐かしい再会である。
同郷で、同窓で、同志の皆様とのひと時は、何と嬉しき。
話に花が咲く、という。
ならば、この日の花は、フラワーフェスティバル級であった。
2時間が、あっという間なのである。
あれも話したかったし、これも話したかったのである。
ともあれ、最後は、お約束。
皆で肩を組みながらの、校歌斉唱である。
私の、2回り上から、2回り下まで。
みんな、声がデカイのである。
歌詞の記憶も確かなのである。
そこに年齢は、関係ないのであって、
同郷、同窓、同志という、3同根の絆に万歳、なのである。
かくして、2007年も、終わろうとしている。
これほど感謝にあふれた年はない、感激と激動の1年だった。
今年一番の寒さの中、
来年の、今月今夜の再会を期して、笑顔での散会となった。
��写真は、来島大橋と懐かしい今治市街)
- 投稿者
- 木村誉
- 投稿時刻
- 15:37