終日、党務。
ということで、書き出しに苦労する。
その中で、伺ったこんな話。
戦後間もない、昭和23年。
まだ、アメリカ軍が日本に駐留していた頃、である。
松山に、シャールズ中佐という方が着任されたという。
そして、中佐がまず目にしたものは、汚い“お堀”の姿だった。
そこには、ボウフラが湧いていた。
悪臭を放っていただろう、さぞ見苦しかったことだろう。
当たり前である。
焼け野原の中で、生きるのに精一杯の時代なのである。
中佐は、すかさず指示したという。
“お堀を、埋め立てろ!”と。
しばらくして、当時の地元議会は、
これを満場一致で決議したという。
ほとんど占領下の日本である。
仕方がないではないか、という気持ちであったろう。
ところが、それに猛反対したのは、他ならぬ地域住民であった。
“何をいうか!お城とお堀は一体ではないか!
断じて、認めるわけにはいかない!”と。
いつの世にも、リーダーは存在するものである。
住民の声を聞いた、岡江さんという弁護士が、悠然と立ち上がった。
その気骨は、筋金入りだった。
かつて昭和19年、時の最高権力者である東条英機に対して、
2回も弾劾書を提出した、命さえ顧みない闘士の人、だったのである。
岡江弁護士は、地元紙に糾弾の投書を掲載しながら、
その足でシャールズ中佐を訊ね、堂々と反対を訴えたという。
中佐は、“それは、あなたがたの民意ではないか!”と、
議会の議決をもって、岡江弁護士に切り返した。
岡江弁護士は、してやったりであったろう。
“では、あなたは民意に従う、という理解で宜しいですね!”
その後、再び議会が開かれ、お堀埋め立ての件について、
先の議決が取り下げられることとなったのである。
勝ったのは、住民であった。
さて、この史実は、何を物語っているだろう。
それは、勇気こそが社会を変える、ではなかったか。
郷土の先輩である岡江弁護士の戦いに、学ぶならば。
それは。
わが身を投げ打ってでも、民意を声に出して戦う勇気を持て、
であろう。
しっかりと心に刻み、自身の使命を果たしてまいりたいと思う。
��写真は、上品な芳香ただよう白木蓮)
- 投稿者
- 木村誉
- 投稿時刻
- 15:37