午後、帰松し、そのまま党務の1日。
今日も、東京での話題を綴りたい。
一昨日、政所氏と別れて向かったのは、練馬区・東大泉。
母校・今治西高校の同級生、鴨ちゃんを訪ねたのであった。
が、本当は軽々しく、鴨ちゃん、などと言ってはならないのである。
彼は、野球部で甲子園を湧かせたヒーローなのだから。
ともあれ、今年正月の同窓会で。
高校卒業以来の再会で、話が盛り上がったのである。
彼は今、“AVG.363”という、スポーツ・バーを営んでいるのだが、
上京したら、一度お邪魔するね、とその時、約束をしたのである。
当時、全くといってよいほど2人に接点はなかったのだが、
私には、鴨ちゃんに対する強烈な印象と親しみがあったのである。
その理由は、1冊の日記帳。
色あせたが、今も私の手元に、ある。
中学時代、父親の一周忌を機に、から始まる日記だが、
なぜかしら高校3年まで長続きしたものである。
読み返して、あまりにも幼い内容に1人赤面するのだが、
それが、1981年7月28日の日付でピリオドとなっている。
その日の日記に、鴨ちゃんが出てくるのである。
夏の甲子園、県大会準決勝○○高校戦のその日、
彼はホームランを2本放ち、快勝したのであった。
黄ばんだそのページには、躍るような文字で、
“すごいなぁ、鴨ちゃん、2ホーマーおめでとう”、
と、当時の喜びが記されている。
彼に対する強烈な印象と親しみは、いわば、青春日記のピリオドを打った、
その色あせたページとともに、私の中にあったのである。
その後、彼らは県大会決勝を勝ち進み、甲子園ではベスト8、
そして、秋の国体では見事、全国優勝を果たしたのであった。
さて、そんな野球部には、私にとってもう1人のヒーローが、いた。
ケンくん、である。
当時、私は、今治の泉川あたりで下宿をしていたのだが、
ひょんなことからケンくん宅に、しばらく居候をするようになったのである。
思えば、高校3年の2学期。
甲子園も終わり、夏休みも終えて、いよいよ受験一直線という時期に、
私たちは意気投合した。
私は、1学期まで、進路は美容師と決め、一切勉強をしていなかったところを、
恩師の青野先生の下宿訪問による激励により、進学を決意した矢先であり、
ケンくんは野球が終わって、セレクション受験とはいえ猛勉強を開始した時期であり、
いわば、受験合宿のような生活が始まったのであった。
が、実際は、ほぼ毎日、脱線の日々であり、楽しくてたまらない日々であった。
そんな話で盛り上がる中、鴨ちゃんの配慮により、ケンくんと電話がつながった。
“こっち、おいでや” “今から、向かうわ”、と話はまとまり、待つこと小1時間。
ケンくんが、来た。
“おーーーっ!ほまれ!全然、変わってないやん。”
“ケンくんも一緒や、全然変わってへんでーーー!”
で、そこからは。
20数年の空白をお互い確認するように、
あるいは、20数年前にタイムスリップして。
3人の話は尽きようはずもなく、また、
お店のお客様も、いつしか一体となって。
懐かしくも新しい、楽しいひと時となった。
鴨ちゃんを訪ねてきて、よかった
ケンくんに会えて、よかった。
その後、時間は無常にも過ぎ、
明日の仕事と、終電を考え、名残惜しくも散会、となった。
帰り道。
1人、電車に揺られながら、脳裏に浮かんだのは、
映画「がんばっていきまっしょい」の、ラスト200のシーン。
“スパート!スパート!”
その、スローモーション・シーンに象徴される、青春のときめきと甘酸っぱさが、
同級生の、2人のヒーローとの再会で、1mmも違わずに、蘇ったのであった。
ありがとう、鴨ちゃん、ケンくん!
��写真:左から、鴨ちゃん、私、ケンくん。)
- 投稿者
- 木村誉
- 投稿時刻
- 15:37